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解任可決の川口元委員長の国益論 [政治]

川口氏は、決議可決後に記者会見し「私は領土と主権を守り日中関係を改善する国益を守ったことで解任される。誠に理不尽だ」と怒りを露(あら)わにした。その上で「野党が憲政史上初めて国益の議論もせず、数を頼りに党利党略で解任した事件だ。国民の政治不信が一層増す。野党の劣化の象徴的事件だ」と野党の対応を批判した。(産経ニュース)
これは小さな問題に見えるが、野中尚人氏の指摘する国会至上主義による「決められない政治」の典型的な症状である。国会の会期中ずっと閣僚が国会に出席し、1年の半分近くは閣僚は国会で座っているだけで、内閣は機能しない。川口氏は閣僚ではないが、中国の首脳と会談するために出張したのだから、会談が延期されたのなら日程を変更するのは当たり前だろう。(池田信夫)

昨日閉会したG20財務相・中央銀行総裁会議では、米国FRBのバーナンキ総裁は既に予定されていた講演会を優先してこの会議を欠席している。
私的な講演会なのかどうかを明らかにしないが、この欠席について、麻生財務相や日銀総裁はどう評価したのであろうか。格別の批判もしていないようである。

理屈と膏薬はどこにでもつくと昔からいわれる。
甲論乙駁するなかで決められているのが、礼法や慣習を含むルールであり、規定であろう。

自分の考える国益概念だけに照らして慣習や規定を無視することを正当化するのは一種のゲリラ的手法である。革命的改変は時にゲリラ的な手法を採る場合もあるが、川口女史の中にもこうした思考が内在していることは興味深い。若い魂の持ち主だとの評価もできるだろう。

池田信夫氏の評価もそうしたゲリラ的問題提起に対するものだとも言えるかもしれない。

古典的発想でも、大義(大礼)の前には細礼(細謹)を顧みずという。

ただこのようなゲリラ的手法で国法や規定を無視する人物を中国の要人が評価して、対等な交渉相手としてか見てくれるかどうかは別問題であろう。中国人は時に原則を重大視する特性を忘れてはならないだろう。

今回の問題も、どちらが大礼であり、どちらが細礼であるかということの価値争奪の問題であるが、細礼だと思っていたことが意外に大礼であったり、大礼だと位置づけていたことがなくても好いような礼法の場合もあったりする。
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