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ヤクルト宮本慎也選手の引退 [プロ野球]

ヤクルト入団時は、野村監督から専守防衛と評されるほど、云ってみれば守備の人であった。昨年2000本安打を達成るするほど打撃面でも非凡な才能を発揮した。努力の成果だろうと思う。
遊撃手で守備は抜群だが打撃は二割五分にも達しない専守防衛の選手はいた。
先ず思い出すのは、阪急の大橋選手である。彼の打順になると安打は期待できないかった。
更に、今はCS放送で専らハム主催の試合の解説をしている水上氏もそうした選手であった。
しかし両氏とも年月を追うほどに、打撃面も進歩させていた。守備能力と打撃力がどこかで交差して打撃力を向上させたのだろう。宮本選手は2000本安打まで打ったのだから、専守防衛という野村氏の評価を見事に克服したことになる。
現在の遊撃手ではソフトバンクの今宮選手が守備では抜群の能力を発揮している。最近は打力面でも少しずつ進歩の跡を示しているようで、期待して見ている選手の一人である。

専守防衛に触発されて、一言言えば、外国人が抱く日本に対するイメージの一つとして「平和国家」が挙げられたりするという。顔のない国家像、ブランド力が落ちたと言われる日本の有力な旗幟になると思う。そうした平和国家の像を壊すように、侵略戦争に定義はないとか言いつのって無謀な先の大戦の正当化を図ろうとしたり、憲法改正を目論んで軍事力強化を一歩も二歩も進め、「集団的自衛権」にまで踏み込んでいる外交姿勢は世界が日本をどう見ているのかということに頓着しない国家像を妄想しているように思えてならない。守備の人が打撃力を向上させる世界は野球の世界だけにした方が賢明な選択のように思う。しかし安倍内閣の支持率が上がっている世論調査も出て来ている。打撃力を磨くことに魅力を感じている人が多いということなのかもしれない。
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高校野球決勝戦の型破りな戦法

今夏の高校野球は久しぶりにラジオやテレビでまめに聞いたり見たりした。
九州では宮崎県だけが紫紺の優勝旗を持ち帰っていない県だとか。そんな中で延岡学園が郷土の期待を背負って決勝戦まで勝ち進んだ。
先制してその期待も膨らんでいたが、本塁打を打たれたり、横瀬投手の失策が契機になって、同点にされ、更に逆転されて、9回裏の攻撃を迎えた。
先頭打者が四球で歩いて、次の打者は間違いなく犠打で送ると読んでいたら、強攻策で打たせると粘ったあげく痛烈なライナーが投手正面を抜けてセンターに達して無死一塁二塁となり、今度はバンドで走者を進めるものと推理していた。ところが一年生の左打者を代打に送ってここでも強攻策を続けて内野フライで凡退した。後続の二人がむなしく倒れて万事休す結果になった。
監督は責任は自分にあると言って、号泣していたとか。責任が監督にあるのは当たり前で、自己の信じる作戦を展開して失敗して号泣したというのも不可解であった。
最近はプロ野球でも初回から無死でランナーが出ると送りバンドで走者を得点圏に進める傾向が強い。高校野球のように手堅い作戦と紋切り型の形容もされる。
延岡学園の野球スタイルがどうであっても、一点のビハインドを背負っていて、無死一塁二塁に走者がいて、犠打のそぶりも見せなかった采配は奇策としか言いようがないだろう。メジャーでも犠打で三塁に走者を送る作戦をとっただろう。安打は何本も続くものでもない。まして下位打者の代打であった。
どのような展開を想定して代打に打たせたのだろうか。あまりにも楽天的な作戦だったとしか言いようがない。
三塁に走者がいれば、投手も内野手もその精神的負担も大きくなるのは言うまでもない。
あのとき代打が最高の結果を出して、サヨナラ本塁打を打ったとしても合理的な作戦だったとは言えないだろう。
画竜点睛を欠いた決勝戦であった。
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安倍首相の「敗戦記念日」の式辞 [政治]

安倍晋三首相は終戦の日の15日午前、東京・九段北の靖国神社への参拝を見送り、自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。一方、首相は15日昼の全国戦没者追悼式の式辞で、歴代首相が式辞で触れてきたアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたことに対する「反省」は述べず、戦没者に語りかけながら、世界の恒久平和を誓うスタイルをとった。参拝を見送ることで中国、韓国に一定の配慮を示しつつ、式辞では歴史認識を「外交カード」に利用させないとの意思を示したとみられる。(産経新聞)

上記の「反省」以外にも不戦の言葉もなかったことに、各紙が論評や解説を加えている。
表現しないことによって、安倍首相の歴史観と外交姿勢の内部心意が表現されていると考えるのが普通の理解だろう。
そして玉串料奉納もまた靖国参拝という実際行動に置き換えた内部心意の表明であることは言うまでもない。正に祭政一致の原理に基づく政治表現だと言える。
ただ、「反省」や「不戦」を否定しているわけではない。歴代首相の先例を継承しているとも言えるだろう。ただ新例を開いたと解釈される余地を残しているので、中国や韓国のみならず米国を含む外交上危うい地歩に自ら敢えて立ったとも言える。
安倍首相は日米関係を重視して米国の日本重視は格別だと考えているようだが、米国は中国や韓国との関係も日本と同じように位置づけていると考えるのが普通だから、そうした観点に立つと安倍首相の外交政策の趣意が見えてこない。どのような外交戦略を構想しているのか、議論されるべきだろう。

原発推進と山本太郎議員攻撃 [ジャーナリズム]

7月の参院選で初当選した山本太郎参院議員が先の臨時国会で提出した「生活困窮者自立支援法案に関する質問主意書」が、社民党の福島瑞穂前党首提出の質問主意書と酷似していることが9日、分かった。政府の答弁書の手続きには多くの時間とコストがかかるだけに、政府関係者は「意図的に同じ内容の質問主意書を出したとすれば税金の無駄遣いだ」と指摘している。(産経新聞)

<政府関係者は「意図的に同じ内容の質問主意書を出したとすれば税金の無駄遣いだ」と指摘している>というのは噴飯物であろう。
何度か本欄でも指摘したが、民主党政権に交替した時の自民党麻生内閣の内閣官房費二億か三億円が使途不明のままに費消されたことを含め、どれだけの冗費を政府機関が使ってきたことか!年金機構に移管する前の杜撰な年金会計の処理などなど、税金の無駄遣いの張本人はどちらなのかと言いたくなる。
産経新聞が自民党政権支持を鮮明にしているメディアであるのは周知のことであるから、「社会的公器」としての言論機関というようなことを言うつもりはさらさらないが、政府関係者の指摘と称して、産経新聞の主張を陰険にちりばめて、公平を装って山本批判をしている記事の書き方が卑しい。明らかに反原発を掲げて当選した山本氏への攻撃である。週刊誌の見出し広告にも山本太郎氏への批判的記事が書かれているように感じる。
直情径行的な山本議員の言動を格好の材料にして、反原発勢力への攻撃をしかけるメディアの側が自民党政権の意を迎えようとしてのことなのだろうが、さもしくうそ寒い対応ではないかと思う。それだけ山本氏の当選を脅威と感じているのかもしれない。さらに言えば、規制緩和を唱え新たな経済成長を唱える安部政権の政策が意外に貧相な内容しかもっていないことを露呈しているとも言えるだろう。

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