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市名の命名権売却 [名とは何か]

川端達夫総務相は23日の閣議後記者会見で、大阪府泉佐野市が財源確保策として市名も含めたネーミングライツ(命名権)を売却する方針を決めたことに関し、「一般論で言えば市名は安定的に同一の名称が用いられることが望ましく、財政の健全化のために頻繁に名前が変わると各方面への影響が大きいのではないか」と懸念を示した。(時事通信)
総務相の危惧は正当であろう。ただ、一般論で述べる問題でもない。
個別的に考えても、命名権売却に伴う歳入がどれだけの額になるのかは、分からないが、名古屋市が市民会館の命名権を中京大学に売却して得た収入が五千万とか聞いた。年間なのか使用期間中なのかは失念したが。
泉佐野市の知名度や利用価値をどのように買う側が評価するかであろうが、市民生活に直結する市名を何年かに一度、あるいは毎年変更するとなると市民の郷土愛にも影響を及ぼすであろうし、仮にも一年ごとに市名が変わって××○○の泉佐野市と呼称するとなると、市名変更に伴う事務経費だけでもバカにはならないはずである。毎年か数年に一度は看板を書き換え、封筒などの書類は印刷を新たにせねばなるまい。それにどうせ外注しているに違いない業務の電算処理の費用負担も相当な負担になるはずだから、売却収入が全て財源の補填になるわけでもなかろう。それに戸籍処理も長い年月の間に年金記録の消失のような問題を惹起しかねないのではなかろうか。総務省も書類作成で煩雑になることは間違いない。年金支給などにも累が及ぶ恐れなしとも言えないだろう。
このように考えると、増税のための牽制ではないか邪推したくもなる。増税よりは安易でないのかもしれないが、貧すれば鈍した結果、貪することになったのであろうか。
市名の命名権売却がどのような結果になり、総務省がどのような対応をするのか興味深いが、徳島の三好市が愛知県の三好町の町名を継承して三好市を名乗ることに同意しなかったことを放置したようになるのであろうか。
国は巨額の国債発行で歳入不足をカバーしているが、付けは後からやってくるのであるが、地方自治体は打ち出の小槌をもたないので市名売却という文字通りの売名行為という裏稼業に手を染めることになったのであろうが、適正な財政立て直しを図ることを市民の同意を得て図ることが求められているのではなかろうか。
橋下大阪市長は命名権売却のアイデアを称賛しているが、大阪市もそのうちに売却するのであろうか。岩おこしの大阪市とか冠が乗るのか、大阪市の○○のたこ焼きとか名乗ったりするのであろうか。国歌斉唱をことさらに条例制定までして強制する意識と名前を安易に売ることを容認する意識との間には著しい乖離を感じる。
それにしても、金のないというのは何と哀しいことではなかろうか。

三好市(徳島県)はやくざ都市か(地名の呼称権) [名とは何か]

括弧内の表記は、三好市といってもその所在が分からない人が多いだろうとの老婆心からの注記である。ここで「やくざ」と言っているのは不法なつまり法的根拠によらない行為者のことを指している。
筆者は既に忘れていたのだが、思い出せば、愛知県の三好町が市制施行に当たって命名問題をこのブログで論じたことがあった。
近頃知人が、三好市に、三好市が愛知県の三好町が市制施行時に当たって「三好市」と命名することを拒否した法的根拠はどこにあるのか、と三好市に聞きただした所、何の回答もなかったという話をしてくれた。恐らく、三好市の拒否には、明確な法的根拠がないので、回答できないのだろうと、二人して話している。
ゆすり・たかりが不法行為として罰せられるのは、法的に正当な請求の権利を持たないからである。三好市が三好町の三好市命名を拒否したのも同じ不法な強要行為に相当する。責任を取りたがらない総務省が「両者でよく話し合って決めて下さい」との提言を一方的に拒否、優しく言えば不同意を伝えていることをよいことにして、自己の意志を不法に貫き通したのが三好市である。その結果三好町は「みよし市」と命名している。命名権を毀損されて何の抵抗もしなかったみよし市の腰抜け振りも無様である。トヨタの税収で潤っている金持ち喧嘩せずの論理がはたらいたのかもしれぬが。
それはさておき、阿久根市の前竹原市長の不法振りは、天下の耳目を集めたが、名も知れわたっていない三好市の市長のこの同じ不法振りが殆ど問題にもされなかったのは、メディアの怠慢であった。
三好市民が仮にも「われ勝てり」と市長に拍手喝采を送っているとすれば、この不法市長と同じ不法市民であると断じて差し支えないだろう。悪しき先例を残したものである。
讃岐うどんの商標権を中国で登録されたのを、不当だと怒っていたことを逆手にとったのかもしれないが、命名権を法的根拠をもつ特許権の如くに不法に犯した罪は決して軽くはない。暴力団が三好市に根拠地を置こうとした場合、この不法市長が暴力団対策取締法の力を借りることができるのであろうか。
追記:中国商標局は、「讃岐うどん」を中国語表記した「讃岐烏冬」の登録を認めない決定をした。
地名は商標ではない。個人が親によって為される命名は、一種の人格権形成の第一歩である。地名とて同じ事であろう。その土地独自の個性あるいは特有の歴史や伝統を背後にして命名されているのである。地名にも呼称権というのが認められなければならないだろう。それを剥奪した三好市と三好市長は自由の剥奪者であり、結果的に三好市の不法行為に荷担した総務省も同罪である。
追記:三好市が市制移行に当たっては、野球で名を上げている池田高校に因んで、市名を池田市にしようというのが当初の目論見だった。ところが、大阪府の池田市が同意しなかったので、已むなく三好市と命名したという。その余波というか意趣返しとして徳島の三好市は、愛知の三好町が三好市を名乗ることに同意しなかったのだろうということを知人から聞いた。
池田市には府立の池田高校があるが、全国制覇をした徳島の池田高校ほど知名度は高くない。池田高校のことはともかく、大阪の池田市の不法行為が徳島の三好市の不法行為に繋がっているのだとすると、背後には総務省の狡猾な示唆があったろうことは十分推測できるので、法による支配と秩序維持を旨とする国の機関が法に拠らない支配と秩序形成に与っていることになり、法治国家といえるのかどうか甚だ疑わしいことになる。つまり國が不法行為の原因をつくっていることになる。
飯島内閣参与が民主党内閣の内閣機能を村役場並みと貶めていたが、村役場並みであるということの検証は暫く置くとしても、国家行政の不法支配の方こそ問題であろう。

三好市と三好町 [名とは何か]

愛知県の三好町が市制施行に合わせて、三好市と称することに対して、徳島県の三好市が反対しているとのこと。三好町から三好市に同意をえる働きかけをしているが、三好市は拒否を貫いているよし。
同じ町名を避けるようにとの総務省かの所管の中央官庁通達が拠り所とのこと。命名権への中央官庁の過剰介入が問われるべき第一である。察するにデータ入力などの混乱回避ということが過剰介入の言い分なのだろうが、両自治体の拮抗は樗牛の争いとも言うべきことのようにも思われる。

老子冒頭の章に、名無し天地の始めには、とある。名は個別性の象徴である。この個別性の根拠を問うところから世界の根拠を無におく。

「みよし」という名の原義には不案内であるが、三好と名のつく地名は全国に幾つもある。住吉という地名もどこにもある。人が住む前は地名はなかった。人の居住とともに、その土地の属性や願望と結びついて先人が命名した所以を後人が独占使用権を主張するのは人類の、少なくとも日本人の文化的伝統に楯突く者であろう。市制移管に可能な人口に早く達した事実に裏付けされて市名の独占使用権を主張するのは命名権の乱用のように思われる。

三好町は、さぬきうどんの称呼が中国で商標登録されて本家の業者が困惑している図と同じ事例なのかもしれない。

通達行政はそもそもどれだけの強制力をもつのか。三好町が三好市と強行命名すると総務省はその書類を受け付けないかもしれない、という危惧があって、事前に三好町が中央官庁にお伺いを立てたら、恐らく三好市とよく話し合って下さいと言われているのだろう。役人の責任逃れの道筋であろう。
実定法の根拠をもたない通達行政を強行突破をして、訴訟に持ち込み最高裁で争うに値する問題を内包していると思うが、三好市が名に対して示していると同じ情熱を三好町がもっているかどうか。さすれば、名の意味を法に照らしてでも争うということは情念の問題でもある。

東名高速道路に三好インターがあるが、仮に三好町の市名が愛知三好市とかになると、インターの名前も変える必要があるのだろうか。国土交通省の所轄であるから、また別の原則が働くのであろうが、秩序の原理がどこにあるのか、という問題にまで行き着いてしまう。
多様多彩な現実を動かしたり統合するためには、多様な原理が必要なのであろうが、法的支配には整合性が求められるから、通達はその隙間を埋めて権力を機能させているのだろうと思う。
「権」の原義がはかりの分銅であることを想起すると権力の相対化のためにも、三好町は三好市を名乗るべきかもしれない。
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