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グーグルの横暴を許すな [著作権]

「インターネット検索大手の米グーグルが進めている書籍のデータベース事業を巡り、米国の作家らが同社と和解した問題で、詩人の谷川俊太郎さんや脚本家の倉本聰さんら日本の著作権者174人が和解を拒否し、現段階で作品をデータベースに載せないよう求める趣旨の通知を同社に送ったことが24日、わかった。」(YOMIURI ONLINE)
グーグルが書籍のDB化を一方的に企画進行させて、最後は米国の作家と和解という力業で問題を処理させたのは、全く不当な傲岸不遜な力尽くの所業である。米国一国だけの問題なら、とやかく言う筋合いではないが、外国の書籍をも囲い込むという横暴さは許し難い暴挙である。グーグルという一企業の横暴な所業の背後には米国の国家戦略の意図が隠れているのは、明らかである。
パソコンに於ける基本ソフトやOSの技術開発でも、日本で開発先行していたトロン方式に対して、政治的圧力をかけて妨害したのは、ウインドウズを開発していたマイクロソフトを支援するためであったことは知る人ぞ知る米国の戦略のなせる技だったのである。
このように不利な地位にあるときには、最終的には軍事力をテコにした政治的圧力をかけ、有利な条件を形成するときには既成事実を作って有無を言わさず外国の文化活動まで支配しようとする。こうした力に抗うのは、金銭的にも時間的にもエネルギーが要るから、損得を計算した日本の出版社の中では個別にこのDB化に屈服しているところがある。
その中で、谷川氏や倉本氏が和解を拒否したことは著作権者としての正当な行為であろう。ただ、和解を拒否して権利を擁護主張するために裁判沙汰にする場合は、米国で訴訟をしなければならぬと言うことになっているようで、その負担は時間的にも経済的にも並大抵なことではない。何かあれば、平等と公正を主張する米国なのだから、訴訟についても提訴する側の國で行われるようにするのが正義というものだろう。

思想的にも、米国とは一定の距離を置いてきた岩波書店などはどのような対応をするのであろうか。
漱石全集などもDB化されると、そのDB化の諸権利はグーグルが掌握することになるのだろうから、WEB上で読むにしても対価を支払う必要が出てくることになる。
この問題は広い意味では、文化の、狭い意味でも文字に託されている文献の一国支配、いな一社支配、ということを画策しているようで、軍事面で核支配をするのと同じような性質の問題であるように思われる。
金融政策で失敗した米国の新たなる世界文化の囲い込みの策謀であることは間違いない。

古典の電子化を積極的に推し進めている、書物の國である中国がどのように対応するのか興味深い。恐らく唯々諾々とグーグルの戦略に乗らないであろう。また乗って欲しくない。

こうした陰険な図書のDB化に対応するためには、我が国では、今後とも図書館による紙媒体たる資料としての図書整備の充実が一層重要になってくるように思われる。
明治以降の文献の酸性紙問題を軽く見ないで、適切な対応を素早くして、書物の重要性を再認識することがグーグルの横暴な行為に対する最も有効な手段のように思われる。文科省や図書館行政の担当者にはそうした認識をもって欲しい。
著作権の切れた書物について、図書館所管の図書にまでDB化の網を被せてきて、貸し出し制限や有料化を持ち出してくるかも知れない。マイクロソフトのウインドウズのように。
グーグルには人類共通の文化を利権化することしか念頭にないのだから。

グーグルのサイトを利用しないことも大切かも知れない。


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