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次期課長河本準一の生活保護費返納問題 [行政]

次期課長河本は、母親が受給していた生活保護費を返納するという。恐らく市当局は、返納金の事務処理に戸惑うことであろう。そのような規定はないはずだし、会計処理をどうするのか興味深い。生活保護費を返納すると言うことは、その期間の母親の生活の面倒を見ていたことになるはずだ。つまり扶養家族となり、扶養控除の対象になるだろう。金額の多寡は別にして、税法上、次期課長は確定申告の修正をすることも可能であろう。税法上確定申告の修正申請は五年前までしか遡れない。それ以前の受給金の返納はどのように扱うのだろうか。公共機関の会計処理は単年度決算であるから、この返納金は雑収入になるのであろうか。

河本は「わきが甘かった」と自省の弁を述べているが、わきが甘かったのではなく、すべて市の福祉の方と相談していたというのだから、法的対応に抜かりはなかったのであって、脇を固めすぎていたと言うべきであったろう。率直に狡かったというべきだった。母親が病気になって生活保護の対象者になっていることを知りつつ、芸道に励んでいたというのも何とも奇妙である。彼の芸道修行は公費で賄われていたとも言える。
昔は、子供が高校に通っていたら、支給対象から外れていた。高校進学が97%超に達している今では支給対象にはなるように生活水準が上がっているとしても。
この問題を追及している片山さつき氏も麻生内閣が退陣した時にうやむやにした内閣官房費の使途不明について党員として問題提起して追及したのであろうか。二億とも三億とも言われている。政治家の「弱者」いじめの典型であろうか。小さな「不正」、つまり不当な税金の使い方には目を光らせるが、大きな「不正」、つまり税金の乱費には目をつぶるという政治家の本性が端なくも露見しているのかもしれない。国家財政破綻の元凶をここに見なくてどこに見るのであろうか。

交流戦倦厭論 [プロ野球]

24日付け日経新聞スポーツ欄のコラムで豊田泰光氏が、8年目を迎える交流戦に新鮮さがなくなってきた。オリンピック並みに四年に一度にしてもよいのではないかと、自らの感性の鈍化に目をつぶった感想を書いている。
理解力や理屈の点ではまだまだ衰えていないと言えるのだろうが、この論調には彼の感性の衰えを感じた。自分の感性の衰えを全ての人に当てはめているのではないかと感じる。
交流戦は当初6回戦総当たりで1球団36試合で行われていたが、セリーグ側が観客動員減少問題と絡めて4回戦、一球団24試合になった。周知のことである。そしてまたこれまでパリーグの球団が全部優勝している。リーグ間の勝敗でも一度だけセリーグの球団が勝ち越した年があって、後は全てパリーグが勝ち越していて、一昨年かは一位から六位までがパの球団が占めていた。今年は現時点で巨人が優位を維持している。これは杉内投手ホールトン投手を加入させた結果だから、驚くに当たらないという。勝負事はゲタを履くまで分からないないから、豊田氏が予想するように今後も展開するとは言えない。それになによりも何時までも巨人に拘って居る感性の停滞が感じられる。巨人中心に動いていると感じているのは、読売というマスコミ権力の作った過去の遺産に必要以上に囚われているとしかいえない。テレビででも交流戦の各試合を観戦しているのだろうかと思う。昨日などは、パリーグの主催試合だったとはいえ、どの球場も観客動員は相当な数に上っていた。決してファンは倦厭していないと言えよう。
歴史の積み重ねは、それに応じて楽しみの変化を生み出してくれる。今年くらいはセリーグの球団が優勝しないといけないとか、個人記録にもいろいろな興味を抱かせることが積み重ねられてくる。
これまでの勝敗や優勝チームが、セリーグとパリーグが逆であったら、恐らくパリーグはマイナーリーグとしてマスコミを利用した宣伝がなされていたろう。パの優勝チームは社会人や学生の優勝チームと争って、セリーグの優勝球団と日本一を決めるシリーズをやったらいいというようなパリーグ蔑視の見方が大手を振っていたかもしれない。
今年は、杉内投手とホールトン投手が巨人に移籍し、ダルビッシュ投手や和田投手はメジャーに移り、楽天の田中投手は調整中、涌井投手も先発を外れた上に登録抹消というように、パの主力投手が抜けている中でも現時点ではパリーグの球団の勝ち星が優勢である。
交流戦が始まってから、オールスター戦がつまらなくなったというのも腑に落ちない。川上選手などが出ている昔からセリーグの選手はどこかオールスター戦に手を抜いていたのである。パの選手は全国区を目指して気張ったのであるが。恐らくファンの絶対的優位に無意識のうちにパリーグ蔑視の野球観が身についたのだろう。その伝染力から未だに免疫力をつけていない意識が豊田氏の倦厭論に横たわっている。それを感性の停滞といい鈍化と言わずして何と言えばよいのか。
韓国や台湾との真剣勝負をプロ野球の化石化脱却の処方箋の一つとして挙げているが、その前にプロ野球機構そのものが巨人を中心としたオーナー勢力から組織として完全に自立することが先決だろうと思う。審判の統一はよかったが、昨年の開幕日延期問題で見せたコミッショナーの対応力の貧弱さを思い出せば、思い半ばを過ぎるだろう。コミッショナー自立から新しい企画が生まれるのではなかろうか。
交流戦倦厭が主流になることが、プロ野球の沈滞脱却の一方法ではないだろう。

DeNAの入場料返還とコンプガチャ廃止 [不当利得]

<ソーシャルゲームの課金方法の一つ「コンプリートガチャ(コンプガチャ)」に対して、消費者庁が規制を検討していることをめぐり、グリーは9日、自社サイト「GREE」で提供しているゲームのうち、自社で開発・運営しているものについて、コンプガチャのシステムを廃止すると発表した。
コンプガチャをめぐっては、ディー・エヌ・エー(DeNA)の守安功社長や「サードパーティー」と呼ばれるゲーム開発会社もこの日、廃止する方針を表明しており、業界全体が全廃する方向に動き始めた。>(産経新聞)

DeNAは、横浜球場主催のプロ野球では、試合に満足できない観客に入場料を返還した。DeNAが圧勝した試合でも返還を求める観客にも応じている。
今回廃止を表明したソーシャルゲームのコンプガチャは子供なども巻き込んでいるとかいう。このゲームがもたらす影響の大きさに気づいて廃止するのだとすれば、今までこのゲームで多額の損失、金銭の浪費を生み出させたことに対して弁済するのが筋であろう。
少なくともプロ野球の試合で満足できない観客に入場料の一部を返還しているDeNAは、自ら廃止を決めたのは、ゲームの反社会性を認めたこととなるのだから、野球の入場料を返還すると同じく、今までに得た課金を利用者に自発的に返還すべきであろう。もし返還が不可能だとするなら、このゲームで得た利益をあしなが育英会の基金にでも寄付するのが真に社会的責任を果たしたことになるだろう。

DeNAの入場料返還企画 [プロ野球]

横浜スタジアムの一塁側内野指定席の50席分は、1日から6試合「全額返金!?アツいぜ!チケット」として4000円で販売。観戦したファンの満足度により勝てば半額まで、負けたら全額まで返金する球界初の試みだった。

 チームは初の3連勝を飾ったが、この日も返金を求めるファンが続出。「以前の連敗があったから」との理由を聞いた球団関係者は「当日の試合の満足度だけで、と伝え切れていなかった」と苦笑していた。<スポニチアネックス>
誰の発案によるのか、観客動員にこの企画が結びつくと考えたのだとすれば、お粗末であろう。またある意味では選手のプレーを冒涜する企画でもあろう。
4000円のチケットが50席完売しても20万円にすぎない。球団の収入としては、僅かであるが、観客一人一人にすると4000円はそれほど安い娯楽費ではない。4000円の席はそこそこの席であろうから、日頃は外野席で見ている人が初めから返還を目論んでこの席で観戦するファンもいるはずだ。
満足とか不満足は相対的である。理屈と膏薬はどこにでもつくというように、勝ち方に不満があれば、勝利しても返還を求めるのを拒否できないだろう。圧勝すればしたで接戦の期待を裏切ったという観客もいるだろう。投手戦で勝っても、某選手の本塁打をみることができなかったので返還を求めるという理屈も成り立つ。
このように考えると八百長に結びつく恐れがないとも言えないのではなかろうか。その筋のプロが仕切る野球賭博では、誰が何回に本塁打をうつかとか、先発が何回まで投げるかというようなことまで賭の対象になっているとも聞く。
球団は遊び心でこの企画を導入したのだろうが、球団経営の基本姿勢がどこか狂っているのかもしれない。
興行収入の最も基本的な入場料について、曖昧にするのは間違っている。途中で雨などが降っても試合が成立すると入場料は返さないという大原則に逸脱した企画なのだから、即刻止めた方がいいだろう。
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清酒と女性 [食品と安全]

先週のモーニングサテライトの特集で、低迷している清酒の販売を盛り返そうと醸造会社がいろいろ工夫をしていることが特集されていた。醸造技術を生かした化粧品の開発なども紹介していた。既にそのような化粧品は売り出されていて人気商品にもなっているものもある。醸造技術の応用を女性顧客に拡大するという戦略である。
女性が人類の半分を占めるのであるから、男性中心の社会で幅をきかせていた企業活動がある意味では見直されるのは当然である。伸び悩む清酒販売の分野でも女性客をターゲットにして色々な製品を工夫開発して販売を伸ばそうと試みられていることが取材されていた。
清酒メーカーの中には女性だけのチームを編成させ、女性が好むお酒を売り出そうという企画もなされている。最近は女子会と言う言葉に見られるように成人女性がアルコールを嗜む機会も増えているので、その時流に乗って清酒販売を女性の好む品質にしようとする試みである。
清酒に限らず、ワインであれ、ビールであれ、アルコールを含む飲料には、妊婦の飲酒に注意を喚起する文言が印刷されている。健康上支障があることが実証されているからである。
妊婦だけでなく、妊娠を前提にする、子供を産むことを願望する場合は、女性だけではなく、男子もアルコールを飲んでいない方が望ましいことであろう。生まれてくる子供が健常であることは誰しも望むことである。とすれば、不幸な子供を産まないためには、危険なことは避けるのが個人にとって賢明な対応であるだけでなく、社会経済的にも重要なことであろう。
さすれば、経済原理を中心とした女性客に的を絞ったアルコール販売の営業活動には節度が当然必要になるのではなかろうか。性教育の一つとしても若い女性のみならず、青年男女に教育されるべき事であって、企業も利益優先に走らないのが社会的責任であり、社会貢献である。

巨人原監督 不安定な采配 [プロ野球]

今年は完封試合が両リーグ、殊にセリーグで多い。昨日も巨人阪神戦はノースコアーの引き分け、中日と横浜は1対〇で中日の完封勝ち。投高打低がしきりにいわれる。この傾向が何時まで続くのか分からないが、阪神3連戦での原采配に大方の巨人ファンは大きな疑問を抱いたのではなかろうか。
杉内が好投して7対2となり、ほぼ試合の帰趨は見えていた。にもかかわらず中継ぎに山口を投入。9連戦が始まったばかりであり、山口にホールドポイントもつかない。意図が全く理解できなかった、どころが無茶な投手の使い方をすると思った。杉内をもう1イニング投げさせ、最終回にマジソンを出すのが常道だったろう。あるいは山口以外の投手でもよかったはずである。
結局山口は三連投である。目先の9連戦を考えても山口を大切に使うべきである。このような使い方をしているとシーズン終盤の勝負所まで好調を維持できるかどうか。
そして最終回に村田にバントをさせる作戦を変えて強打させ、ライトマートンの余り上手とも言えない守備で無死二三塁になり、結果的にはよかったが、甚だ疑問である。
その前の打席では犠打をさせているので、解説の堀内氏もここは犠打だ、と言っていた。裏をかいたのかもしれないが、一貫性のない采配に見える。マートンが捕球していたら作戦変更は強く責められたろう。まだ回の浅い第三打席で打たせて、最終回は犠打をさせるのが常道だろうと思う。
ノーダウン満塁は点が入らないというが、その通りになった。作戦の不安定さに選手が流れに乗り切れなかった面もあったのではないかと思う。
初戦で5点差での山口投入には不安な心理が擡げたのかもしれないが、村田の犠打から強攻策への変更も守備体形などを見て、犠打の失敗を恐れたのかもしれない。
山口の無駄使いや村田への作戦変更をみて、原監督は腹の据わらない小心というより気の小さい指揮官というのが実体なのではなかろうか。だから負けても評論家のような発言しかできない。それを選手は見抜いているので、その采配の不安定さに左右され、それが微妙にプレーに影響している、つまり試合の展開に乗っていけないのではないか、と思った。
桑田氏は野球はミスのスポーツだと独自の見解を説いている。ミスと判断する基準はそもそもどこにあるのか。投手は完全な投球ができ、打者は完全に打てることを絶対的基準にしないから、試合は成立する。打者が完全であれば、試合は終わらない。投手が完璧なら、得点は与えない。両チームの投手が完全なら、試合は終わらない。試合は相手があって成り立つ。両方が完全であることはないというのが桑田氏の言い分なのであろうが、完全を求めるからミスが生ずるのか、ミスを前提にしているから、完全を求めるのか、この両者には随分距離がある。

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