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生活保護費引き下げ [国家財政]

生活保護受給者の方が、低額の年金受給者や一部の労働者の賃金より恵まれている場合があったり、貧困ビジネスの温床として「悪用」されている事例があったりして、世論を味方につけつつ生活保護費の切り下げがほぼ間違いなく実施されようとしている。この生活保護費の切り下げのもたらす問題点も指摘されている。
一方、生活保護の切り下げに先んじて10月から年金も減らされることが決まっている。年金切り下げは物価上昇率に見合って改定されることになっているのだが、据え置かれて引き下げられなかった分が引き下げられる。これに対して、年金受給者から、生活保護費の切り下げが先だという意見も述べられたりしている。
生活保護費を目の敵にする風潮がなぜか一般的になっている。その背景には疑問を抱かせる受給者もいて、受給者が200万世帯を越えて社会保障費が財政を圧迫しているからだという。確かにその通りであろうが、企業に対する減税をする一方で、国民は等しく文化的で健康な生活を営む理念に即して設けられている生活保護費を減額するのは、国民生活の全ての面で生活水準を低下させることになるだろう。最低賃金も切り下げられるだろう。
問題なのは、年金受給者が年金の減額の前に生活保護費の削減が先だというような貧しいものが貧しいものの足を引っ張る問題意識でないかと思う。為政者の思う壺であろう。自民党政権は一部の金持ちと企業に有利になるような財政運営をするのを党是としている。貧しいものをより貧しくするような口実を為政者に与えてはならない。そもそも生活保護受給者の増大は、生活保護を受給している側に責任は殆どないと言ってもよい。
また、生活保護費の削減は、物価上昇率を2%に設定して、脱デフレを目指す安部政権の財政政策とも相反するだろう。貧しいものの方がものを買いたいのである。圧倒的多数の庶民の購買意欲を萎縮させるような政策運営をするのだから、どこまで本気でインフレターゲットを実現しようとしているのか疑わしいこと甚だしい。

ソフトバンク馬原投手の人的補償移籍 [プロ野球]

寺原投手のFA権行使によるソフトバンク移籍に伴って、馬原投手がオリックスに人的補償として移ることになった。年俸だけを比較すると、馬原投手の方が高い待遇を得ていた。大幅減俸による契約後の年俸でも馬原投手の方が寺原投手よりも上回っているように推定される。
なぜソフトバンクに貢献すること大だった馬原投手をプロテクトしなかったのか、球団は貢献者へのそれ相当の評価を忘れているという疑問や慨嘆が漏れてきていて、昨年の杉内、和田、川崎選手らの流出をも問題にする見解も聞こえていると報ぜられている。
昨年の三選手はそれぞれ貢献した後、権利としてのFA権を行使しているに過ぎない。馬原投手を含めて、いずれの選手も億単位の年俸を得ていた。昨年は松中選手もプロテクトされなかった。高額な年俸や故障がちな点が人的補償の対象として指名されなかったのだろうが、井口、小久保、城島選手が出た後、一人でホークスを背負っていた程の選手であった。プロテクトされなかったのは、選手としてのプライドの点で言えば、厳しい評価であるが、故障して活躍できなかった期間の高額な年俸などを考慮すると、球団が冷遇したとも言えないだろう。
馬原投手の故障が直っていてオリックスで活躍できたらそれはそれでよいことであろう。プロテクトする必要の度合いをどう位置づけるか、将来性ある若い選手をみすみす流出させるに忍びない点も理解できる。
貢献者つまり高額年俸取得者をプロテクトしなかったことで冷たい球団だというのは、少し偏った見解のように思う。なぜなら、かつてソフトバンクに在籍して、トレードされたり、戦力外になって他チームで活躍の場を得ても、二三年して戦力外になった選手をソフトバンクはスカウトやスコアラーとして迎えているからである。荒金氏と的場氏を球団に復帰させた人事を評価している。吉田氏や大道氏もコーチとして遇している。勿論それぞれ才能と経験を評価してのことであろうが、かつて在籍した選手の将来に目配せしていると言えるであろう。
その点では楽天を戦力外になった岩村選手に活躍の機会を与えたヤクルトの人事も快哉を叫ぶに値する。

桜宮高校の体罰容認とドラフト「逆指名」容認の共通点 [教育]

大阪市立桜宮高校は公立高校ではバスケットボール部の強豪校だという。体罰を恣にして指導してきた部長は18年間異動することなくこの高校に勤務している。長くても通常10年を限度として教員は異動する。異例な人事である。恐らくバスケ部の強化に欠かせない人材として特別な配慮がなされていたのだろう。強豪校だということで生徒(志願者)を集め、有名校にしているのは外ならぬ自分たちであるとの、よく言えば自負が、悪く言えば傲慢さが体罰をまかり通らせたのだろうと思う。そもそも運動部が強いところは指導者の鉄拳制裁が横行している場合が多い。現在も横行している思想的背景には、根性論が根底にあるのだろう。殴打は選手を進歩成長させるための手段であるという、竹槍でB29に立ち向かうような精神論である。ルールを尊重することが求められる中で、社会的な礼法が無視されているのである。それは勝てば、というより結果が全てであるという考え方が根底にあるからだろう。
そうしたスポーツ界の傲岸さは、昨年のドラフトで東海大の菅野投手を指名した日ハムに対する祖父の原氏の横柄さにも見られた。彼は高校球界ではボス的存在として一目置かれているらしいが、己がルールだと勘違いしていて、社会的ルールや業界の決まりなどを理解しない。それは東海大学野球部横井監督にも伝染していたのである。殴打という物理的暴力は用いてはいないが、社会的約束事を無視しようした暴挙の一種に違いないのである。スポーツ界、だけではないのだろうが、殴打をすればうまく事が成就すると考える非理性的なことが教育の世界で日常化していたのである。教育という営みの重要な一つは理性の錬磨と追求であるから、自らの指導方法が明らかにそれに背反する行為であることが認識されていなかったと言わざるをえない。事態が明らかになった今でも彼の指導を容認する見解が相半ばするとか。彼に厳しい鉄拳制裁が許されるとしても、生徒の個性を把握してなされるべきことである。仮にも自ら命を絶つような生徒の性格を根性無し!という偏見が根底にあればそれは指導でも何でもない。体罰が上達を生むなら誰も努力はしない。体罰が努力の根源だというのも歪んだ暴力主義にすぎない。
叩かれ殴られて進歩するならば、この部長の人間性を高めるために、校長なり教育委員長なり市長なりが平手打ちを数十発食らわせ見せることである。恐らく彼の指導力が飛躍的に進歩するならば、体罰にも一理あるということになろう。この部長は、体罰を通じて精神力を高めると考えているのであるから、それを実証するために橋下市長にでも平手では痛いであろうから、鞭ででも用いて叩いて貰うことであろう。暴力を以て暴力に対抗するのは如何にも仁の道つまり正当な道から外れた外道であるが、目には目を歯には歯をという代償行為と考えれば少しは道理にかなうかもしれない。
オリンピックを招致しようとしている中でこうしたことが生起しているということは、スポーツに関わる人々全てが、薬物を用いて選手強化をしようとしているのと五十歩百歩だという認識を新たにすべきであろう。

戦わずして勝つ [国家財政・外交]

昨年9月の沖縄県・尖閣諸島の国有化以降、中国の軍用機が東シナ海上空で日本領空への接近飛行を繰り返していることが8日、分かった。中国機は日本領空の外側に設けられた防空識別圏をたびたび突破、その都度、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)し対処しているが、防衛省は事実関係を発表していない。尖閣周辺での相次ぐ挑発を受け、政府は警告射撃など自衛隊の対抗措置を強化する検討に入った。(産経新聞)

この記事のように、警告射撃などで対抗措置をすれば、中国の思う壺だろう。
中国の戦艦が尖閣諸島周辺に出没したり、軍用機が領空侵犯すれすれの飛行をしているのは、正に孫子の兵法の戦わずして勝つという戦術に従っているのだろうと考える。
鄧小平氏が後代の知恵に期待するとして領土問題を脇に置いて日中正常化を優先したという経緯もあるなかで、歴史的に日本固有の領土だとしても、石原知事のがさつな発言に悪のりして野田首相が一方的に国有化を宣言したことが問題を拗らせることになったのである。
仮に警告射撃をしてそれが中国軍用機に損傷を与えた場合、日本の領土や領空内だったということが国際法上明確に認められない以上、不当な攻撃と認定されれば、国際的批判を浴びることになるのは必定であろう。
短気を起こさず抗議を外交的に繰り返しつつ、粘り強い外交交渉を続けることが戦わずして勝つ戦術に戦わずして勝つ方策であろう。

高齢者(70~74歳)医療費窓口負担 [政治]

特例的に1割に据え置かれている70~74歳の医療費窓口負担について、安倍政権は7日、法律通りの2割にする時期の決定を、夏の参院選後まで棚上げする方向で調整に入った。2014年1月から段階的に2割にする案で与党内の慎重派を抑えようとしたが、選挙前に引き上げ時期を決めることへの反発が強かった。(朝日新聞デジタル)
年金の物価スライド制による年金改定の場合でも、消費者物価が下がったのに、年金は下げなかったというツケを後年になって負担させている、つまり、遅れて年金減額をしている。あたかも高齢者がそうせしめているかの如き批判記事が書かれたりする。
表記の医療費窓口負担の問題でも決まっていることはきちんと決まり通りすべきである。見かけ上は、高齢者への配慮のようであるが、選挙への配慮であるから、議員つまり議席確保への配慮に過ぎない。しかも今夏の参議院選挙では自公が過半数を獲得しようとする大目標をもっているから、なりふり構わぬ政治的決着を企図しているとしか言いようがない。物価上昇目標を立て、それに従わなければ、日銀法の改正断行まで言いつのっているのである。物価上昇は年金生活者つまり高齢者の生活を脅かすものである。一方で医療費負担増大は、選挙後に先送りするというのだから、整合性を欠くこと著しい。せめて物価上昇つまりインフレターゲットを政策課題にしているのだから、高齢者の医療費負担は軽減維持という考え方が根底にあってこそ政策課題の実現への意思を感じるというものである。裏返せば、インフレターゲットを設定していても、その実現は困難で画餅になることを自ら語っているようなものであるとも言える。
日銀法を改正してまで自らの政策課題を実現しようとするのは法的安定を損なわないという意図があるからだと言える。さすれば、法律として決定していることはその通り実行するのが法制の安定に繋がるものであろう。
麻生財務大臣兼副総理は、80歳を超えた婦人が貯蓄に励んでいる。財産を生前贈与して若い人がお金を使えるようにして、経済を活性化させる必要があるという趣旨のことを言っていたが、高齢者の懐を当てにしているのならば、窓口負担を法律通り実行する方が個人の好悪や金銭感覚に左右されずにお金が動くことになるのではなかろうか。健保財政健全化への一歩にもなるだろう。

憲法制定の経緯 [憲法問題]

少し間延びすることになるが、年明け早々以下の記事を目にした。
「第2次世界大戦後に連合国軍総司令部(GHQ)の一員として日本国憲法の草案作成に携わり、男女平等などの条文を盛り込んだベアテ・シロタ・ゴードンさんが30日、ニューヨークで死去した。89歳だった。」(朝日新聞デジタル)(1月3日ヤフー所載)
そして関連記事として、2007年5月1日付けの東京新聞が生前のゴードン女史への記者・豊田洋一氏のインタビューが掲載されていて、改めて読むと憲法制定の経緯の一端が覗える。(このインタビューは二〇〇四年四月二十日、ニューヨーク・マンハッタンのベアテさんの自宅で行われました。)との注記がある。

一、二抜粋しておく。

ベアテ 集めてきたスカンディナビアや、ワイマール、ソ連の憲法には女性の基本的な権利だけでなく、社会福祉の権利もちゃんと書いてあったので、憲法にこれを入れたいと思いました。民法を書くのは、官僚的な日本男性ですから、憲法にちゃんと入れないと、民法にも入らないと思ったんです。民法を書く人が縮められないよう草案に詳しく書きました。
ベアテ 日本政府には「これを基本に日本の憲法をつくってください」と草案が渡されていました。一カ月後、日本政府代表者とGHQとの会議があり、私は通訳として呼ばれました。会議は午前十時から始まり、すぐに私たちの草案を議論しているんじゃないことが分かりました。日本側は全く違う憲法案をつくってきたのです。ですから、日本側の案を英訳したり、ケーディスの返事を日本語に訳したり、議論があっちこっちに飛んで進みません。そうしたら、(当時外相だった吉田茂元首相の側近)白洲次郎さんが、書類をテーブルに置いて、どこかに行ってしまいました。それは私たちの草案の日本語訳でした。ケーディスは、この草案をベースにしようと言い、それ以降、議論が少し楽になりました。

豊田 九条の戦争放棄規定は問題にならなかったのですか。

 ベアテ それはマッカーサーが「入れなければならない」と、最初から命令していたので、日本政府代表者との協議では全然、議論にならなかったと思います。ただ、ケーディスは亡くなる前、私に「九条の最初の草案には、侵略戦争だけでなく、自衛戦争もやってはいけないと書いてあったが、自分が消した」と言っていました。彼は、どの国でも自衛権はあると思っていたんです。戦争放棄条項はマッカーサーかホイットニーか、誰が書いたのかは分かりません。でもケーディスが自衛戦争の放棄を消したことは確かです。

ベアテ女史の短い返答の中で感じることは、一方的な価値観で事を進めようとしていないこと、価値の相対化の意識が根底にあり、民主主義の理念を意識して憲法を制定しようとしていることである。戦勝国として統治対象国の憲法制定という意識が殆ど感じられない。自主憲法制定を主張する論者達との決定的落差であろう。
仮に自主憲法制定論者が戦勝国側に立って勝国の憲法制定の任を担ったとして、これだけの理念と精神を盛り込んだ憲法を構想できるだろうか、と考えてみると、到底足下にも及ばないだろう。押しつけられた憲法だという単純な価値判断つまり偏見が先ずあって、自由とか平等とか民主主義とかの理念を原理的に追求しようとする根源的価値創設の意識が覗えないからである。
押しつけ憲法からの脱却がその動機なのかどうかは判然としないが、世論調査でも6割強ほどが改憲支持だという結果も出たりしている。中国や韓国との領土問題に端を発した改憲論であるなら、真に底の知れたことである。国家権力も國の政治を動かす一機能に過ぎないという平衡感覚を欠いた憲法を想定しているのではないかと懐疑する。
憲法第九条について、ベアテ女史は擁護する立場に立っていた。
原爆まで投下し、あれほど無差別に空爆をした米軍をして京都や奈良の古都を空襲から守らしめたのは、外ならぬ米国人の見識であった。その価値を体験的に知っていた有識者がいたからであろう。
現憲法は押しつけだからダメ、古都の保護保存は見識の結果であるとして頬被りする。
古都は守るに値する人類共通の文化遺産であるが、その文化を生んだ為政のシステムや為政者の狭窄は葬られるべきものとして現憲法が制定されたのであると考えるのが歴史の教訓に学ぶということであろう、と考える。

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