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桜宮高校の体罰容認とドラフト「逆指名」容認の共通点 [教育]

大阪市立桜宮高校は公立高校ではバスケットボール部の強豪校だという。体罰を恣にして指導してきた部長は18年間異動することなくこの高校に勤務している。長くても通常10年を限度として教員は異動する。異例な人事である。恐らくバスケ部の強化に欠かせない人材として特別な配慮がなされていたのだろう。強豪校だということで生徒(志願者)を集め、有名校にしているのは外ならぬ自分たちであるとの、よく言えば自負が、悪く言えば傲慢さが体罰をまかり通らせたのだろうと思う。そもそも運動部が強いところは指導者の鉄拳制裁が横行している場合が多い。現在も横行している思想的背景には、根性論が根底にあるのだろう。殴打は選手を進歩成長させるための手段であるという、竹槍でB29に立ち向かうような精神論である。ルールを尊重することが求められる中で、社会的な礼法が無視されているのである。それは勝てば、というより結果が全てであるという考え方が根底にあるからだろう。
そうしたスポーツ界の傲岸さは、昨年のドラフトで東海大の菅野投手を指名した日ハムに対する祖父の原氏の横柄さにも見られた。彼は高校球界ではボス的存在として一目置かれているらしいが、己がルールだと勘違いしていて、社会的ルールや業界の決まりなどを理解しない。それは東海大学野球部横井監督にも伝染していたのである。殴打という物理的暴力は用いてはいないが、社会的約束事を無視しようした暴挙の一種に違いないのである。スポーツ界、だけではないのだろうが、殴打をすればうまく事が成就すると考える非理性的なことが教育の世界で日常化していたのである。教育という営みの重要な一つは理性の錬磨と追求であるから、自らの指導方法が明らかにそれに背反する行為であることが認識されていなかったと言わざるをえない。事態が明らかになった今でも彼の指導を容認する見解が相半ばするとか。彼に厳しい鉄拳制裁が許されるとしても、生徒の個性を把握してなされるべきことである。仮にも自ら命を絶つような生徒の性格を根性無し!という偏見が根底にあればそれは指導でも何でもない。体罰が上達を生むなら誰も努力はしない。体罰が努力の根源だというのも歪んだ暴力主義にすぎない。
叩かれ殴られて進歩するならば、この部長の人間性を高めるために、校長なり教育委員長なり市長なりが平手打ちを数十発食らわせ見せることである。恐らく彼の指導力が飛躍的に進歩するならば、体罰にも一理あるということになろう。この部長は、体罰を通じて精神力を高めると考えているのであるから、それを実証するために橋下市長にでも平手では痛いであろうから、鞭ででも用いて叩いて貰うことであろう。暴力を以て暴力に対抗するのは如何にも仁の道つまり正当な道から外れた外道であるが、目には目を歯には歯をという代償行為と考えれば少しは道理にかなうかもしれない。
オリンピックを招致しようとしている中でこうしたことが生起しているということは、スポーツに関わる人々全てが、薬物を用いて選手強化をしようとしているのと五十歩百歩だという認識を新たにすべきであろう。

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