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橋下大阪市長の言い種 [論理の整合性]

橋下市長の慰安婦問題への発言が物議を醸し、米国政府からも侮辱的内容である、と批判されている。
同氏は、米国が日本占領下のことをもちだして持論の正当化を企図している。また本音論をもちだして同氏に荷担する向きもいる。人間観や世界観は人様々であるので甲論乙駁は世の常であるが、為政者は言葉を大事にしなければならない。言は身の文なり、という。
性欲と食欲は人間の基本的欲望である。それを前提にして道徳は成立している。道徳成立の淵源に立ち至るのは極めて難解な問題を抱えるので、ここでは差し控えるが、橋下氏は為政者としては、職員の勤務態度や成績に関して厳格な対応をしている。
勤労者が自己の労働力をできるだけ高く売る、つまり仕事はそこそこにして給与はできるだけ多く受け取りたいのが「本音」であろう。その「本音」に対しては厳しい反応を示して、より労働者・勤務者としての効率の高い勤務態様を求めて来たことは周知のことである。これは勤労者の道徳心に期待してのことであろう。ところが、今回の同氏は、本音を前提にして論を展開して、常ならざる戦場における兵士の性欲処理の問題として取り上げ道徳心を否定するかの如き論を展開している。
かかる原理の使い分けが平然とできるのが為政者の能力なのかもしれないが、彼の言うフェアでないという論拠も甚だ怪しいものになる。

子供手当・高齢者医療保険そして福島社民党首の自衛隊合憲論 [論理の整合性]

子供手当支給の法案が国会で議決された。
自民党の谷垣総裁はばらまき予算であり、選挙前の議決はばらまきどころか買収まがいだと痛罵している。自民党の厚生関係の議員は子供手当の支給に対して、受け取り拒否を決めたとも報ぜられている。
去年の麻生内閣は、景気刺激策の一つとして、全国民に給付金が支給された。その時は愚策だとの意見が多かった。受給申請をしていない人も相当数に上ると報ぜられている。申請期限があるのかどうかは不案内であるが、予算の全額が執行されなければ、次年度に繰り越されることは現行の予算制度では、無理であろうから、年度内が期限になっているかも知れない。
この支給については、筆者も景気刺激になるとも思えなかったし、所得を問わない支給には賛成できなかったが、申請して支給を受けた。ただ、消費に回さず国境なき医師団に寄付している。支給を受けた人の中には同じように寄付に回した人も多いであろうと推測する。
今回の子供手当の受け取り拒否を表明している自民の議員は麻生内閣の給付金支給ではどんな決定への関わり方をしたのであろうか。しかも子供手当の支給対象になる子供を抱えている議員はそういないはずである。谷垣総裁も給付金支給法案に反対票を投じていたのであろうか。そういう底の浅い反論をしているから、国民の自民支持率も上がらないし、自民党の内部で執行部批判が公然と出てくるのであろう。
子供手当にせよ、高校の授業料無償化にせよ、所得や資産の多寡に関わらず一律支給という決定には大方の国民は賛成していないと思う。
年間所得の把捉の仕方には、給与所得者と自営業者とでは差があることは歴然としているので、それが両制度ともに所得制限を設けなかった最大の理由だと考えるが、一定の所得制限をすべき案件だったと考えている。なぜなら、70歳以上75歳以下の高齢者の医療の診療費については、一定以上の所得がある場合には、三割負担が求められ、一割負担と峻別されている。
子供手当にせよ高校授業料の無償化にせよ、税金の再配分という社会政策の一環であると考えられる。とすれば、税金、その他の社会保険の負担については所得に応じた税率や負担率が適用され、高額所得者はそれ相当の負担をしている。そうした税体系全体の中で考えると、当然子供手当や高校授業料無償化にあたっても、所得による制限を設けることによって、体系の合理的整合性が担保されることになると思われる。
そうした合理的体系の整合性を無視してきた所に、国家財政の破綻に繋がる国債発行の乱発に伴う国家財政の運営という歪みが生じた根本原因になっていると考えることが大事であろう。
原理原則を重視しないことはこうした財政の問題だけではない。
科学技術でも、最も望まれていることは医療技術の分野での貢献やエコ分野への関心が80%超になるほどであって、新しい発見や未知の領域の探求という原理的なことに対しては、2割以下の関心しか示していない。広い意味でいうと、対処療法的、技術の応用に関心が強いと言うことである。つまり、原理的問題を甘く見る目先の利害に左右された結果なのであろう。
論理の整合性という観点で付け加えれば、先日社民党の福島党首が国会の議論の中で、自衛隊の合憲性に関わって自衛隊合憲論を容認したという。自衛隊が現行憲法に合致しているかどうかは、純法理的には難しい問題を内包していて、軽々に自衛隊が憲法に合致するとは言えない。政治的に自衛隊合憲論を容認したのであろうが、何とも恥ずかしい変節である。国家の自衛権は、ある意味では、自然法とは何かという重い問題が根底にあるが、自然法の観点から議論すべき問題であって、実定法としての性格の強い憲法の問題としてではなく、或いは憲法を越えるような問題として認識・議論されるべきだというのが筆者の持論であるからである。
昔から、一が多を規定し、多が一を規定するというではないか。整合性とは、そうした一と多の関係の平衡が保たれていることなのである。
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