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安倍首相の「敗戦記念日」の式辞 [政治]

安倍晋三首相は終戦の日の15日午前、東京・九段北の靖国神社への参拝を見送り、自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。一方、首相は15日昼の全国戦没者追悼式の式辞で、歴代首相が式辞で触れてきたアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたことに対する「反省」は述べず、戦没者に語りかけながら、世界の恒久平和を誓うスタイルをとった。参拝を見送ることで中国、韓国に一定の配慮を示しつつ、式辞では歴史認識を「外交カード」に利用させないとの意思を示したとみられる。(産経新聞)

上記の「反省」以外にも不戦の言葉もなかったことに、各紙が論評や解説を加えている。
表現しないことによって、安倍首相の歴史観と外交姿勢の内部心意が表現されていると考えるのが普通の理解だろう。
そして玉串料奉納もまた靖国参拝という実際行動に置き換えた内部心意の表明であることは言うまでもない。正に祭政一致の原理に基づく政治表現だと言える。
ただ、「反省」や「不戦」を否定しているわけではない。歴代首相の先例を継承しているとも言えるだろう。ただ新例を開いたと解釈される余地を残しているので、中国や韓国のみならず米国を含む外交上危うい地歩に自ら敢えて立ったとも言える。
安倍首相は日米関係を重視して米国の日本重視は格別だと考えているようだが、米国は中国や韓国との関係も日本と同じように位置づけていると考えるのが普通だから、そうした観点に立つと安倍首相の外交政策の趣意が見えてこない。どのような外交戦略を構想しているのか、議論されるべきだろう。

武器禁輸政策の見直しと自衛官募集 [政治]

安倍政権は22日、武器禁輸政策の抜本見直しに向けた議論を8月から本格化させる方針を固めた。新たな指針の策定により、従来の武器輸出三原則を事実上「撤廃」することも視野に入れている。安倍晋三首相は撤廃に前向きという。政府筋が明らかにした。防衛省は26日にも公表する新防衛大綱の中間報告に新指針の策定方針を盛り込む方向だ。(共同通信 )
自民党が選挙の圧勝を受けたことを背景にしていたのかどうかは定かではないが、昨日の昼過ぎいつも乗降する私鉄駅の改札口前で迷彩服を着た自衛隊員が、自衛官募集の幟を建て長机を出して自衛官募集の業務をしていたのを目の当たりにした。自衛官募集のビラはいつも目にするが、威圧的とも見えるこれ見よがしの募集活動はみたことがない。自民党圧勝の予測をうけて、早くから企画していたのだろうと推測する。
安倍首相は表面では、経済政策に力点をおくことを強調してはいるが、密やかに軍事大国化の道に踏み出していることを象徴するのが上記の記事と精力的な自衛官募集業務であると直観した。正に衣の下から鎧をちらつかせている図であろう。
安倍首相は中国や韓国への訪問は後回しにして敢えて中近東、東南アジア諸国、アフリカを訪問している。恐らく戦国時代の故知に習った遠交近攻の外交政策を実行しているのだろうと推理しているが、一方、米中韓の三国は日本の「孤立化」を企図していると受け取られる外交を展開しているようにも見受けられる。
こうした中での軍事力の強大化は注視しておかねばならないだろう。

解任可決の川口元委員長の国益論 [政治]

川口氏は、決議可決後に記者会見し「私は領土と主権を守り日中関係を改善する国益を守ったことで解任される。誠に理不尽だ」と怒りを露(あら)わにした。その上で「野党が憲政史上初めて国益の議論もせず、数を頼りに党利党略で解任した事件だ。国民の政治不信が一層増す。野党の劣化の象徴的事件だ」と野党の対応を批判した。(産経ニュース)
これは小さな問題に見えるが、野中尚人氏の指摘する国会至上主義による「決められない政治」の典型的な症状である。国会の会期中ずっと閣僚が国会に出席し、1年の半分近くは閣僚は国会で座っているだけで、内閣は機能しない。川口氏は閣僚ではないが、中国の首脳と会談するために出張したのだから、会談が延期されたのなら日程を変更するのは当たり前だろう。(池田信夫)

昨日閉会したG20財務相・中央銀行総裁会議では、米国FRBのバーナンキ総裁は既に予定されていた講演会を優先してこの会議を欠席している。
私的な講演会なのかどうかを明らかにしないが、この欠席について、麻生財務相や日銀総裁はどう評価したのであろうか。格別の批判もしていないようである。

理屈と膏薬はどこにでもつくと昔からいわれる。
甲論乙駁するなかで決められているのが、礼法や慣習を含むルールであり、規定であろう。

自分の考える国益概念だけに照らして慣習や規定を無視することを正当化するのは一種のゲリラ的手法である。革命的改変は時にゲリラ的な手法を採る場合もあるが、川口女史の中にもこうした思考が内在していることは興味深い。若い魂の持ち主だとの評価もできるだろう。

池田信夫氏の評価もそうしたゲリラ的問題提起に対するものだとも言えるかもしれない。

古典的発想でも、大義(大礼)の前には細礼(細謹)を顧みずという。

ただこのようなゲリラ的手法で国法や規定を無視する人物を中国の要人が評価して、対等な交渉相手としてか見てくれるかどうかは別問題であろう。中国人は時に原則を重大視する特性を忘れてはならないだろう。

今回の問題も、どちらが大礼であり、どちらが細礼であるかということの価値争奪の問題であるが、細礼だと思っていたことが意外に大礼であったり、大礼だと位置づけていたことがなくても好いような礼法の場合もあったりする。

発信力と受信力 [政治]

選挙運動や活動でのインターネット利活用が議論の対象になり、選挙法の改正も指呼の間にある。
電子媒体利用の巧拙が当落に影響を及ぼしかねないため、候補者の発信力が問われると言われたりしている。今まで政治家の発信力は、ある意味では有権者の受信力の感度を無視して行使されてきていたろう。それが無党派層の拡大にも繋がったと言えるだろう。電子媒体の利用は国政レベルの選挙活動よりも身近な地方選挙により大きな影響を与えるかもしれない。受信力が侮れないからである。
ツイッターやフェイスブックなど既存のSNSだけを意識した電子媒体利用の選挙活動よりも、治世を監視する意味でも選挙管理委員会などが独自のSNSを構築してそれを利用するように考えた方がいいように思う。
選挙公報への有権者の質問などができたりするともっと政治への関心も高まり、治世の質もよくなるのではなかろうか。電子媒体という量的変化が治世の良質化、透明性と具体性の担保に繋がることを考えるべきであろう。
受信力と発信力は相互依存の関係にあるが、情報把握や保持それに伴う取捨選択力の点では為政者の方が有利であるから、受信力を高めるためには発信者の真偽なり意図を精度高く把握する必要があると考える。
政権把持者としては当然であろうが、安倍首相の現下での政治的意図や目標は参議院選挙勝利による数的優位の確立に向けられている、と思う。数的優位の保持を果たせば、改憲などの政治的課題を一挙に解決しようと目論むに違いない。
チェルノブイリ原発事故よりも深刻だと思われる福島の原発事故と原子力発電の問題を意図的に避けている。被害者や被害地域を足繁く訪れる前に明確なエネルギー政策を提示することが求められているのに、意図的に放置している。それは電力会社の政治献金のなせる所であろうと推察する。太陽光発電などの再生エネルギーを東京電力などは送電線が一杯だなどと口実を設けて買い取りを渋り阻害しているなどは、政財界の陰湿な体質の反映であろう。発信力の隠微な所であろうか。

高齢者(70~74歳)医療費窓口負担 [政治]

特例的に1割に据え置かれている70~74歳の医療費窓口負担について、安倍政権は7日、法律通りの2割にする時期の決定を、夏の参院選後まで棚上げする方向で調整に入った。2014年1月から段階的に2割にする案で与党内の慎重派を抑えようとしたが、選挙前に引き上げ時期を決めることへの反発が強かった。(朝日新聞デジタル)
年金の物価スライド制による年金改定の場合でも、消費者物価が下がったのに、年金は下げなかったというツケを後年になって負担させている、つまり、遅れて年金減額をしている。あたかも高齢者がそうせしめているかの如き批判記事が書かれたりする。
表記の医療費窓口負担の問題でも決まっていることはきちんと決まり通りすべきである。見かけ上は、高齢者への配慮のようであるが、選挙への配慮であるから、議員つまり議席確保への配慮に過ぎない。しかも今夏の参議院選挙では自公が過半数を獲得しようとする大目標をもっているから、なりふり構わぬ政治的決着を企図しているとしか言いようがない。物価上昇目標を立て、それに従わなければ、日銀法の改正断行まで言いつのっているのである。物価上昇は年金生活者つまり高齢者の生活を脅かすものである。一方で医療費負担増大は、選挙後に先送りするというのだから、整合性を欠くこと著しい。せめて物価上昇つまりインフレターゲットを政策課題にしているのだから、高齢者の医療費負担は軽減維持という考え方が根底にあってこそ政策課題の実現への意思を感じるというものである。裏返せば、インフレターゲットを設定していても、その実現は困難で画餅になることを自ら語っているようなものであるとも言える。
日銀法を改正してまで自らの政策課題を実現しようとするのは法的安定を損なわないという意図があるからだと言える。さすれば、法律として決定していることはその通り実行するのが法制の安定に繋がるものであろう。
麻生財務大臣兼副総理は、80歳を超えた婦人が貯蓄に励んでいる。財産を生前贈与して若い人がお金を使えるようにして、経済を活性化させる必要があるという趣旨のことを言っていたが、高齢者の懐を当てにしているのならば、窓口負担を法律通り実行する方が個人の好悪や金銭感覚に左右されずにお金が動くことになるのではなかろうか。健保財政健全化への一歩にもなるだろう。

節約は最大の投資 [政治]

安部政権に最も期待するのは、景気対策だという。安部政権に限らずどの政権に対しても国民は経済面では景気回復や景気の維持を望んでいる。前政権下の経済政策が著しく拙劣であったから、景気が芳しくなかったのではない。無秩序な国債の乱発を避けて財政再建にウエイトを置いた施策を重視して経済成長政策の明確な展望を示すことができていなかったことに大きな要因があったと言ってよい。消費税増税と社会保障の抜本的見直しによる財政再建への道筋をつけるということで自公との三党合意を得ていた。
ところが、安倍内閣が発足するや、景気を最優先課題として円高是正つまり円安と物価上昇率2%設定を掲げ、その考えに従わないないなら、日銀法を改正も視野に入れるというところまで積極的な経済運営に踏み込もうとしている。それにつれて、株価上昇、円安にもなって如何にも明るい経済活動が展望されるような雰囲気になっている。景気には心理的な作用が大きく左右する面があることは否定できないが、現時点ではその先行指標の一つである株価だけが先行して反応しているだけなのが実情であろう。
家財家具や衣類の整理整頓が関心になり、そうしたことを事とする専門家がアドバイスをしている放映を見た。なるほど乱雑にものが家中に溢れていて、部屋がものに占有されている状態であった。
整理するというのは、畢竟不用なものを思い切って捨てるということである。所謂断捨離である。こうした整理整頓が求められていること自体が、我々の生活を取り巻いている実態は供給過剰の状態にあるということの証左でもあろう。
需給バランスが供給サイドに偏っているときに、物価上昇率を2%に設定してそれを達成しようとするのは至難のことであろう。だからなのかどうかは分からないが、規律ある財政政策の遂行などの合意はどこかに置き忘れて、財務大臣などは国債の乱発で景気を立て直そうと企図している。正に箱物や道路造りで潤ってきた利権集団に支えられて成立していた旧来の自民党政治の伝統的手法の再利用で景気回復を図ろうとしていると言ってもよい。それだけでは芸としては見劣りするので、物価上昇率の設定とか日銀法の改正、円安誘導の思想で目くらましをしているのではないかと思う。明確な経済成長の考え方は示されていない中で、対処療法的な施策が先行して、結局は、後世に巨額な負債を残すことになる、後は野となれ山となれという刹那主義的経済運営に頼ろうとしているにほかならない。
その帰結として原発再稼働や建設続行が安易な口上となっている。放射能汚染までが自民党政治の復活とともにきれいに除染されたかのごとき風化振りである。今回の大地震による甚大な被害も放射能汚染さえなければ、対応の仕方は簡明で単純であった。汚染地域に帰宅して農業に従事することすらできない多くの被災者の実情を忘れている自民党や公明党の為政者の発言は、中部電力の社員の一人が原発事故で亡くなった人はいない、だから原発安全な動力源だと言ったのと五十歩百歩である。
地震列島に住んでいて、あれだけの惨事を目の当たりにして原発再稼働を容認することを十分予想できた自民党に圧勝させた有権者の選択の結果は、恐らく列島自体が放射能に汚染されてしまい、金持ちだけが海外に生活の拠点を必死になって求めるような事態が来ても、まだ地塘春草の夢から覚めないことを物語っているのかもしれない。アメリカでは火星に8万人が行くことができるような計画まで策定されているとか。最後の審判を避ける壮大なノアの箱舟なのだろうか。
結果として貧富の格差を増大せしめた小泉改革政権時代に金融立国を唱道した経済学者の名が次の日銀総裁の候補者の一人に上がったりしている。
所詮、経済学も神学論争のようなものだとすれば、一方で成長戦略も立てつつ、原点に立ち返って、財政の立て直しを図ることが日本国の最大の課題のように思われる。
惨敗した民主党代表に経済に通じる海江田氏が選ばれたが、党首討論などの機会を利用して安部首相と明確に対峙してアベノミックスの問題点を明らかにすべきだろうと思う。その点では民主党の代表選びは後手を踏むことの多い同党としては評価してよい選択だったろう。
阪神淡路大震災は社会党の村山内閣の時に、東日本大震災は民主党政権下で発生した。行政能力の未熟な政権が二度の甚大な事故の処理に当たり、その未熟さに失望した国民が旧態依然たる自民党と公明党に政治を託しているこの事実が日本的な特質を象徴的に表しているのかもしれない。否、日本国の行く末を暗示しているのかもしれない、とつい悲観的に考えて見たくもなる。
といいつつも、国民は日々生に之努めている。しかし、国民という民は存在しないことを為政者は肝に銘じてほしいというのが切ない願いである。


国防軍と若年層の献血者激減 [政治]

安倍総裁が最終的に徴兵制度まで視野に入れた構想のもとに国防軍編成を唱えているのか、不分明であるが、国防の名の下に集団的自衛権の行使を可能にすることを目論んでいることは間違いない。自衛隊は、個人の自由意思に基づく志願者の組織である。
一度集団的自衛権の行使を容認するとなると、同盟国アメリカの要請に基づいて、国防軍を派遣しなければならなくなる事態も十分考えられる。また、領海や領土問題を念頭に入れている点もあるだろう。その時志願者集団の兵士だけでは、国防軍は維持できない。南北対立を背景にして、徴兵制度を実施している韓国のように徴兵制にまで踏み込まないと国防軍は維持できないだろう。若者がそうした考え方に従うと安部氏は考えているのだろうか。
最近の統計によると、50代、60代の人は積極的に献血に応じているが、若者を中心にした青壮年層の献血が激減していて、このままだと血液製剤製造に深刻な影響を及ぼしかねないという。
献血にすら消極的な若者に銃を持たせて最前線に立たせることができると考えているのであろうか。現実認識の軽薄さが露呈されている。
現憲法の下でさえ、拡大解釈して政治を動かせているのであるから、国防軍編成や憲法「是正」がなされたら、それこそその時点で事態は想定外の展開をするに違いない。為政者は必ず事態を強権的に進めることは歴史が証明している。
かつこの国防軍思想には、女性の位置づけも考えなければならない。女性自衛官もいる時代であり、男女平等思想のもとで女性をどう位置づけるのか。我が子を喜んで戦場に送り出す親、特に母親はいない。そうした中で強権的に支配を拡大しようとするのは、権力の効率性からみても割に合わないことであるはずだ。平和憲法に従って統治と支配を維持する方がよほど権力の効率的支配と維持行使になるにちがいない。
変化するようならば、それは国民性とは言えないということが正しいとするならば、日本人はまた愚かしい、つまり無駄な労力と人的資源とを費消する道の選択に一歩進めることになるのかもしれない、と危惧すること深刻である。

野田首相こそ離党を! [政治]

民主党の選挙公約を無視して、自民党と公明党の政策を丸呑みにして消費増税法案を成立させた政治理念のない政治姿勢こそ党則違背であろう。
増税という政策の選択は、主権在民の最も基本的な憲政の常道に従って選挙による判断を求めるべきであった。解散もしない、明確な大連立もしない。正に恣意的権力の行使だけがなされたのである。
小沢氏が離党する政治理念上の理由はない。民主党の政治理念に照らして離党を求めたり、処分する根拠はない。
財政の健全化を図り、後世に負担を積み残さないというこの一点だけを唯一の根拠にして年金制度や他の社会保障制度の改革は二年間かけて審議するという条件が満たされなければ、成立した消費増税法も廃案にするというならばまだ筋は通る。首相として命を駈けてやると言った以上は、消費増税とセットになっている社会保障制度が民主党の理念に沿わせることにも含意されていなければならない。社会保障の問題は次の政権に任せるというのはいかにも無責任である。次の民主党総裁選挙で野田首相が再選されたとしても、首班指名では自公民の支援を得なければならないことになるだろう。
そして、次の選挙では民主党は大敗北を喫して政権与党の立場を失うのは必至である。自民党も過去の政策対応に照らして国民の支持を過半数に達するまでは得られないだろう。

民主党が政権を執って実現したことは、消費増税だけである。

野田首相の言葉遣い [政治]

大飯原発の再稼働に関連して、関係閣僚が会合をもち、一定の結論を導くことになったことに関して、野田首相は昨日「判断し決めさせて頂く」というような発言をしていたのをテレビで聞いて奇異に感じた。
この「させて頂く」という表現は謙譲表現なのだろうが、他の力によってそう決めるのだというようにも理解できる。最高権力者の首相として「させて頂く」というのは、責任回避のようにも受け取れるのである。巧みな言葉遣いと言えば、言えるかもしれないが、京都府や滋賀県知事、大阪市長が原発再稼働に不安と疑念を示している中で、「させて頂く」というのは、基本的なデータに基づく安全性を根拠にしているというより、自己の積極的なエネルギー政策に関わる全体計画の見通しも示さずにミクロな観点から目に見えない何か産業界の意図に沿ってことを運ぼうとする意図が隠れているような意識が読み取れるのである。いかにも謙虚な言葉を弄しつつ、国民の生命の安全や不安に配慮するでもなく、権力の行使に踏み切ろうとしていることの表れが見て取れる。明確に「判断する」とかせめて「判断したい」というのが最高権力者の言葉遣いであろう。
一方、消費税増税については、不退転の決意で実現を目指すと明確に発言している。党内の異論、連立政権与党の党首の意見にも耳を貸さず、自らの政治生命を賭すとまで言っている。自民党や公明党などの野党は解散をして国民の真意を問うようにと言っているが、解散して総選挙で国民の真意を聞こうとする意思はなさそうである。増税政策こそは、政府維持のためのコストとして国民に負担して頂くというのが筋であろう。権力者が不退転の決意で増税すると強調するのは説明不足も甚だしい。
過大な国債発行は政府国民の合作であったのだから、それを克服するためには国民の協力を求めるとともに政府の杜撰な財政運営や支出の厳格さを正すことが同時に為されなければならないはずであろうから、その意味では権力基盤の安定のために国民の真意を問うことが重要であろうと思うのである。
首相の言葉遣いに、本末転倒の意識が見て取れて仕方がない。

鉢呂大臣の発言と自民党の無反省 [政治]

<1>福島の汚染が経産省の一つの原点と捉えてそこから出発すべきだということを感じた。事故現場の作業員、そしてまた管理している方々は予想以上に前向きで明るく活力をもって取り組んでいる。 残念ながら(原発)周辺の市町の市街地は、人っ子一人いない。まさに死のまちという形だった。私からももちろんだが、野田総理からも「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」と、これを第一の柱に野田内閣としてやっていると至る所で話した。(読売新聞)
<2>8日夜の言動についての鉢呂経産相の釈明要旨◆(10日午後)
 8日夜11時過ぎ、(衆院議員)宿舎に帰って来てから、記者との立っての非公式な懇談を5分ないし10分くらい行った。被曝の線量の話があったので、計数的な話をした際、記者にも厳しい状況を伝えたかった。(記者に)囲まれていたから一歩くらい近づいたというような記憶しかないが、大半は真剣な話をしたと記憶している。
 (「ほら、放射能」との)発言自体はどういう風に言ったか、ちょっとニュアンスが違うし、行動としては若干(記者に)近づいた程度で、腕を取るとかは一切なかった。しぐさはあったかも分からないが、言葉は正確に記憶していない。(読売新聞)
前者の「死の町」発言と後者の「ほら、放射能」との冗談めいた発言が波紋を呼び経産相の進退問題がかまびすしい。前者の「死の町」という状況説明は必ずしも不適切な表現とも思えない。むしろ放射能汚染の深刻さと原子力エネルギー問題の深刻さを表現したものである。一度今回のような事態が生起すると、今まで人が住んでいた地域をして人が住めなくせしめるといることなのである。後者の冗談めかした発言は、原発問題の深刻さを語った前者の発言と整合しない。放射能汚染を他人に移すという行為は、親しい間柄であっても許せるものではない。そう考えると、鉢呂大臣の為政者としての質の低さを遺憾なく露呈したということになろう。
いっぽう、この問題に関して、自民党石破政調会長が「福島の子供がどんな目に遭っているのか」とか、公明党の幹部が批判しているのは、正に顧みて他を言う事例であろう。今回の放射能汚染問題の元凶は、自民党、もちろん民主党も含めた安易な原子力政策にあったのである。そのことを隠蔽するために鉢呂大臣の不適切発言を云々しているに過ぎない。また袖を接して「移すぞ」と言われて、問題に取り上げた新聞記者も今まで原子力政策や東電の傲慢さを問題にしたことはなかったろう。その意味では、鉢呂大臣と同じくその場限りの対応をしているのだと断じても過言ではあるまい。
辞任の報道を聞いて:責任を取って辞任したのではなく、大臣としての資格を持ち合わせていないので辞任すると言うべきであろう。
全てに完璧を求めることはできないとしても、謙虚な反省を感じさせない発言が目につくこと甚だしい。

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