SSブログ

発信力と受信力 [政治]

選挙運動や活動でのインターネット利活用が議論の対象になり、選挙法の改正も指呼の間にある。
電子媒体利用の巧拙が当落に影響を及ぼしかねないため、候補者の発信力が問われると言われたりしている。今まで政治家の発信力は、ある意味では有権者の受信力の感度を無視して行使されてきていたろう。それが無党派層の拡大にも繋がったと言えるだろう。電子媒体の利用は国政レベルの選挙活動よりも身近な地方選挙により大きな影響を与えるかもしれない。受信力が侮れないからである。
ツイッターやフェイスブックなど既存のSNSだけを意識した電子媒体利用の選挙活動よりも、治世を監視する意味でも選挙管理委員会などが独自のSNSを構築してそれを利用するように考えた方がいいように思う。
選挙公報への有権者の質問などができたりするともっと政治への関心も高まり、治世の質もよくなるのではなかろうか。電子媒体という量的変化が治世の良質化、透明性と具体性の担保に繋がることを考えるべきであろう。
受信力と発信力は相互依存の関係にあるが、情報把握や保持それに伴う取捨選択力の点では為政者の方が有利であるから、受信力を高めるためには発信者の真偽なり意図を精度高く把握する必要があると考える。
政権把持者としては当然であろうが、安倍首相の現下での政治的意図や目標は参議院選挙勝利による数的優位の確立に向けられている、と思う。数的優位の保持を果たせば、改憲などの政治的課題を一挙に解決しようと目論むに違いない。
チェルノブイリ原発事故よりも深刻だと思われる福島の原発事故と原子力発電の問題を意図的に避けている。被害者や被害地域を足繁く訪れる前に明確なエネルギー政策を提示することが求められているのに、意図的に放置している。それは電力会社の政治献金のなせる所であろうと推察する。太陽光発電などの再生エネルギーを東京電力などは送電線が一杯だなどと口実を設けて買い取りを渋り阻害しているなどは、政財界の陰湿な体質の反映であろう。発信力の隠微な所であろうか。

侍ジャパンの監督やコーチの役割 [プロ野球]

いよいよ明日からWBCの準決勝が始まる。
ジャイアンツとの練習試合で中田翔選手が待望の本塁打を放っている。
それまでの彼の打撃フォームについて立浪コーチがすり足打法を勧めていたという。この報道を聞いて、いくら何でも他のチームの四番打者の打撃フォームまで改めさせるのは行き過ぎではないかと思っていた。
すり足打法から従来の打撃フォームに戻して本塁打を放ったそうだから、ヒントを得て何かのコツを掴んだ成果かもしれないが、所属チームに戻ればそこのコーチがいる中で、ジャパンのコーチの役割は難しいように思う。しかも立浪氏は日頃パリーグの試合は余り見ていない点では、山本監督と同じである。
中田選手のように成長途上の選手の能力を伸ばしてやりたいという気持ちは純粋なのだと思うが、一時的に与った選手の根本的な指導には疑問を抱かざるを得ない。

奨学金返還滞納問題 [教育]

貸与された奨学金の返還滞納の累計額が876億円に垂んとすると言う。大学を卒業しても定職に就けない大卒者や非正規雇用で収入を得ている大卒者の増加が返還滞納の根本的原因であるというのが定説である。
このまま返還が進まないと爾後の育英事業の維持に支障をもたらすことは必至だと言われる。支援機構は返還を求めて法的手段も辞さないとの強硬手段も取り出しているという。また滞納者はブラックリストに登録され、カード利用もままならなくなる事例も生じているという。社会的信用が失われることになる。貸与額の多い大卒者になると500万円内外の返済義務を抱えた上に社会的信用にも欠陥が生じ、かつ定職がないとなれば絶望しか残らないことになる。借り手の自己責任をあげつらうことはできない。
大学の授業料は文系と理系の相異や国公立か私学かでかなりの差があるが、少ない大学でも年間に換算すると100万円は越えている。四年間の学費となれば、500万円を借りるのも無理からぬことである。500万円の借り手が、20年かけて返済するとして、一年で25万円、一月だと2万円強の返済が生ずることになる。
現在では、同世代のほぼ二人に一人が大学に進学する時代である。さすれば、奨学金に負う学生も多くなるのは必然である。年功序列社会や終身雇用制度が崩れつつある広い意味での就職難の時代に生きる若者にとっては奨学金の返還問題は人生設計に大きな陰を落とすことになる。
このように苦労して支払っている授業料を資産運用に走って巨額な損失を出している学校法人も少なくない。恐らく学校法人の資産運用失敗による損失額の合計は、奨学金の滞納額876億円に匹敵するのではないかと推測する。株価上昇や円安に伴い損失額も減少しているかもしれないが、一時期一学校法人で2千億円の含み損を抱えている学校法人もあったのだから、学校法人が蒙った資産運用の損失額の合計は、奨学金の滞納額を遙かに超えていると推定するのが正しいかもしれない。
借りた奨学金を踏み倒す不貞な大卒者は一割もいないだろう。殆どは返済したくともできないというのが実情だと言われる。城繁幸氏ではないが、若者を殺している張本人が誰であるか明白であろう。
文教予算に占める私学助成は2000億円を限度にして増えていない。世界的に見ても低い水準であって、先進国の中では低い方から数えた方が早いのも歴然たる事実である。
奨学金返還の窓口相談も返済を求める方向よりも返済軽減のプランを立てるために何をすべきかの窓口相談にすべきであろう。その中から返済義務者救済の具体的プランができ、予算措置も変わってくるのではなかろうか。
あるいは、10年間返済を済ませた人は、子育て年代に入るのだから、返済を免除するとかの制度的改変を加えることも重要であろう。改められるようだが、一律な教科書無償制度よりは実質的であろう。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。