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名古屋市長俸給800万円への減額の意味 [有名無実]

河村新名古屋市長は市長職俸給を年額800万円に減額する条例を上程するという。従来の三分の一に相当して、係長クラスの俸給だという。部局長クラスで800万円を超える役職者に対しては、その俸給に見合うだけの仕事が求められると河村氏は述べている。且つ現行制度では4千万円強支給される退職金は受け取らない、と公表。
これらは、市民税の10%減額と並んで市長選挙の公約であるから、実現するために全力を挙げるとのことである。市民税減額に伴う財政と事業の関係についての明確な展望は示されていない。これから見取り図を描く段階だとか。

そのことはともかく、賃金とは何かという問題は経済学的に考えると、そうたやすい問題ではないという。
普通に考えると労働の対価というのが一般的理解であろう。
名古屋市長の現行俸給が2400万円強だそうだが、それが市長職に対する報酬として適切な水準かどうかを判断することは難しい。そうした中で、新市長が800万円にする根拠も必ずしも明確ではない。恐らく市の職員の給与体系を睨みながら、かつ自分の生活実感を加味してこの数値を出したのだろうと推測できる。ここに一つの問題点が潜んでいる。つまり市長の賃金の適正水準は、係長クラスが妥当だと考えたのである。
市長は行政組織の最高責任者であり、最も強い権限を持つ者である。だから給与体系もそれを反映させるのは、当然である。責任と権限が最高であるのに、報酬は係長クラスというのは、権限をも自ら縮小しなければならない。そして、部局長に権限と責任を委譲するのが妥当であろう。権限と責任は小さいのに報酬は多いというのは奇妙な官僚システムである。
確かに官位は高いが給与は低く、官位は低いが給与は高いというケースがないわけではない。名誉的な官位の場合である。権限と責任とを反映させない報酬体系のもとで、勤務評価などができるのであろうか、甚だ疑問である。賃金に見合う仕事をせよと市長は部局長クラスを励ましているようだが、部局長クラスは市長以上の職務をする権能を持たないのだから、無理な難題というものであろう。否、市長以上の仕事、つまり俸給800万円以上の仕事は出来ないはずである。

このように考えると、一見もっともらしく見えたり聞こえたりする行為が実は著しく整合性を欠いたものであるかが分かるのである。
職員が勝手に自分はこの程度の給与でよいからと申し出て仕事の質を落としたり、権限を縮小させたりすることを市長は容認しないだろう。
民主的選挙で選ばれた首長が恣意的に制度をいじるのは、条例として議会の承認を得るという手続きを取るとはいえ、独裁的行為、少なくとも独善的行為であって、民主主義の歪曲者になっているのである。また河村氏が永遠に市長を務めるわけでもない。
名古屋市長の職務が年俸800万円に相当する賃金体系を新たに組むのであれば、それは一つの見解である。しかし、全国の市長の俸給としても下位の方に当たるというのであるから、名古屋市の規模に見合うものであるかどうか。市長の俸給が減額されることは、年金や健康保険の掛け金も減額されるのであるから、年金財政にも微々たる額とはいえ、負担をかけることになる。-1%成長が続くと2031年で年金財政は破綻するという試算も出ている。
この國の賃金体系をどうするのかということと深部では結びついているのであるから、こうした不整合な論理体系で行政を運営すれば、どこかで混乱と停滞をもたらすことになるだろう。市長の俸給の多寡が市の財政を窮乏化させているのでもない。減税による行政サービスの低下が生ずることになると、市民の福祉や生活が脅かされる危険を内包することになりはしないか。

河村新市長は何故、従来通りの給与を受け取って、800万円以上の部分については、寄付するということをしないのか。名古屋市に寄付すれば、俸給の800万円への減額よりは、整合性を欠くことはないだろう。
河村氏は中小企業の出であるから、減税や給与の減額を発想したというが、行政の運営と利益追求を主眼とする企業とを同じ物差しで測るのは必ずしも適切な対応ではないだろう。
河村氏の試みは革命的かもしれないが、展望なき危うい企図でないことを祷っておこう。
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