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決まりと常識:報道腕章の貸与 [法とは何か]

<千葉のバス立てこもり事件の現場で、記者が捜査員から犯人説得のためと頼まれ、報道腕章を貸した。社は「記者倫理として慎重さと適切さを欠いた行為」と厳重注意。一方、命の危険が迫っている場合の判断で問題はなかったとの意見も。あなたは、記者の行動に問題があったと思いますか?>(ヤフー意識調査>
21日14時過ぎ現在の調査結果は、問題なし:86%、問題あり:12%、わからない:4%である。
古代から、礼法を含めて例外や緊急事態にどう対処するかということは常に問題になっていることである。礼と法とは自ずから異なるが、この会社は「記者倫理として慎重さと適切さを欠いた行為」として厳重注意したというのは、規則至上主義の立場に立っている。規則の前に常識があることを忘れている。問題なしとする数が86%に達していること、これが数値化された常識の立場だと云えるであろう。
また、記者倫理という視点で云えば、むしろ腕章を貸したことの方が倫理に叶っているとも云える。

第二次世界大戦中、リトアニアの日本領事代理をしていた杉原千畝氏は、外務省の命令に反し て独自の判断でユダヤ人が亡命できるようにビザを発給し、ナチス・ドイツによる迫害 からおよそ6000人にのぼるユダヤ人を救ったことで知られている。
外交官という官僚でさえも、事態の深刻さと人間の尊厳の前では、規定や上司の指示に従うことができなかったのである。
法律や規定を盾にとる法律至上主義に陥る欠陥をもっている人が多い。所詮法も規定も運用する人の解釈というフィルターを通っているのである。
記者の腕章は、報道関係者の特権の象徴でもあろうから、その特権の行使は、社会的に容認されていることを前提にしているのであって、その特権を私的に使わない限り、つまり公的安寧、人命救助のためという限られた範囲であれば、その行使が認められていると考えることも可能であろう。
難しい厄介な問題でも解決せざるを得ない場合、現場にいる者と指揮命令する立場の者とでは対応の仕方にずれが生ずるのも無理からぬことである。
人間が複雑で厄介な存在であることの反映なのであろうが、だから常識が重視されるべきなのであろう。

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