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米の先物取引開始への疑問 [政治と経済]

鹿野農相は7月1日、東京穀物商品取引所と関西商品取引所から申請されていた米の先物取引の試験上場を認可することを午前の会見で表明。農水省は同日夕にも両取引所に対して認可書を渡す。

商品先物取引法上、試験上場の申請については[1]十分な取引量が見込まれないこと、[2]生産・流通に著しい支障を及ぼすおそれがあること、の2点を立証できなければ認可しなければならないとされている。
 鹿野農相はこの2点のいずれについても「立証することが困難である」として「認可することにした」と述べた。
 そのうえで「あくまでも試験上場。異常な取引がないよう市場を監視、監督していく」と話し、試験上場期間中に先物市場の機能や価格の乱高下などについて検証を行っていく考えを示した。
 平成21年に改正された商品取引所法では▽値幅制限の強化、▽建玉制限の強化、▽取引の停止・強制決済の実施を農相が取引所に命令できるようになった。認可にあたってはこれを両取引所に通知する。
 鹿野農相は先物取引のメリットについて価格形成の「透明性確保への期待感はある」と述べ生産者、卸業者などにとっても価格の指標が明確になるとした。(農政・農協ニュース)

東日本大震災発生からまだ四ヶ月も経たない、十万人近くの避難所生活を余儀なくされているという異常な事態の時に、よりによって国民の主食である米の先物取引を認可するこの農林大臣やこの内閣の状況認識の浅薄さに驚くばかりである。愕然とする。

先日、NHKの朝の経済番組で内橋克人氏が疑問を提起していた。この疑問の提起以外、殆どのメディアなどでも問題にされていない。確かに米の先物取引は江戸時代に既に実施されて長い歴史がある。

原油の先物取引が石油市場で実需を反映しない形で投機資金の対象になって、時に経済活動に大きな影響を及ぼしていることは周知のことである。石油市場のように大きな市場であっても世界の巨額の投機マネーが動けば相場に大きな影響を及ぼす。

日本人は米を食べなくなっているといわれるが、それでもまだ主食であることには変わりはない。この主食が投機の対象になるようなことをこの時期に選択するには、もっと国会でも議論し問題点を明らかにした上で細心の注意を払い、しかるべき手順を踏んで、実施に踏み切るべきであったのに、軽々に農政大臣の判断で決まってしまうこの民主党の政治の無神経さには唖然呆然とする。

内橋氏は大正時代の米騒動の問題を挙げ、かつまたフランスでは主食のパンは今でも公定価格が維持されていると指摘していた。

今は世界の巨額な投機マネーが、東に大豆が儲かる口があると聞けば、投機資金を浴びせ、西に米が利益をもたらすと聞けば、相場を動かして儲けようとする時代である。中国も米を主食としているが、中国の投機マネーやオイルマネーが入ってこないとも限らない。それによって米価が恐ろしい変動をしない保証はない。
認可の条件としている「十分な取引量が見込まれる」ということは上記の投機の対象に十分なることを認めていることでもある。「生産・流通に著しい支障を及ぼさない」という条件も解釈の問題であるから、第一条項と相容れないことである。つまり、十分な取引量があることは、生産・流通に著しい支障を及ぼしうることを内包している。投機の対象になる恐れが十分にあることをこの認可条件自体が示唆しているのである。主食の価格を投機マネーに委ねることになっているのである。
農政大臣や当局に異常な事態を監視するだけの力量や識見があるのだろうか。ものごとは一度振れだしたら極端に振れるものである。その時点で制御しようとしても、それで利益を上げようと目論んでいる集団や組織の利益を損なうようなことになれば、必ずうまい汁を吸おうとする政治家とつるんで圧力をかけることは十分予想される。その時想定外であったと言い逃れるのであろうか。
「価格形成の透明性確保への期待感」などと言っているが、主食の価格形成の透明性とはそもそもどういうことか。主食の場合、市場で形成された価格が透明であるとは決して言えない。なぜなら米価が高騰して、平均的収入を得ている国民の購買力を越えた価格形成になっても、透明性が高い価格という市場主義に委ねることになるからである。健康で文化的な生活を保証するのが政治の要諦の一つであるから、米価の高騰は憲法の保証する国民の生活を著しく損なうことになる恐れは十分に残した今回の認可なのである。この認可の背後には、何やらわけのわからぬ利権がうごめいているようにも思われる。

この米の先物取引の市場が「順調に」成長して一定の規模に達すると、内外の投機資金が流入してきて、米の相場を操作するような事態が遠からずくるであろう。
巨額な財政赤字に伴う、ハイパーインフレが高い確率で生起するだろうと予測される中で、主食の高騰を招きかねない米の先物取引の認可である。両者の生起が相乗的に国民の生活を壊滅的に叩きのめすだろうことが十分予測される中で、議論も尽くさず平然とやってしまう。東海・東南海・南海の大地震の連動が高い確率で予測されている中でまた大きな火種を抱えて仕舞った、と言うのが杞憂であることを祈るのみである。
管内閣は殆どの問題について、国会や閣議で議論を尽くした上で、事を運ぶということをしていない。それをリーダーシップと曲解している。おぞましい非民主的内閣である。これが市民運動を出自とする宰相が率いる内閣なのである。
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匿名

その時想定外であったと言い逃れるのです。
この言葉大好きですからね。
by 匿名 (2011-08-08 16:54) 

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