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蟹工船と日教組を潰せ発言 [憲法問題]

中山国土交通相が辞任した。それでも日教組は潰せと言い放ちそれを自己の信条であるという。組合の思想に反対すると言うのであれば、言論・思想・信条の自由の枠の中でのことであり、大いに議論すればいいことである。
組合を潰すというのは労働者の団結権を否定することである。憲法違反の発言であり、国務大臣就任時の憲法遵守の宣誓にも明らかに違背する。国務大臣としての本分に悖る発言である。

最近小林多喜二の蟹工船が読まれ、漫画にもなって一種の社会現象として取り上げられている。派遣労働書や安定的職場から取り残された労働者の共感する所となって、労働者団結の意義が再認識される契機を与えているのだという。
戦後の労働運動高揚期に蟹工船は映画化もされ、迫力のある映像にこのような現実は克服されねばならないと青年の心を動かした。また、小林多喜二が獄中で拷問に処せられて死亡したと推測せしめる写真を見たことも思い出す。

嘗て日教組が強い力を持っていたのは、戦争によってもたらされた数々の悲惨な現実を背負っていたからである。今や日教組の組織率も低迷していて、組織率の高い府県はご用組合化しているのが実情であろう。
大分の日教組の様子がどのようであったのかは全く知らないが、中山氏の論に従えば、教員試験不正合格の温床は日教組の力によるのであって、権力と癒着した組合の実態を示しているに他ならず、中山氏が談合二社から政治献金を受けていたと指摘されているのと同じ類のことである。近親憎悪ということがある。大分の日教組の体質が同体質の中山氏の嫌うところとなっているのかもしれない。

嘗ての日教組は文部省と激しく対立して表面上は不倶戴天の敵の間柄であった。今や日教組には文科省と戦うだけの力もないだろう。にもかかわらず、日教組は日本のガンだという基本認識は、プリンスホテルが日教組の教研集会を急遽キャンセルした意識や力と殆ど距離はない。

戦後の日教組共通の標語は「戦場に教え子を再び送るな!」ということであった。今や「せんじょう」と入力すると、「洗浄」に先ず変換される。勿論、日教組が力を誇っていた時代には、ワープロもPCもなかった。

蟹工船と相前後して真空地帯という映画もあった。軍隊の苛酷な状況が舞台となっていた。
学徒出陣で徴兵され帰還した人から戦場や軍隊の話をよく聞かされた。徴兵検査にあたっては、X線写真撮影の前にタバコを吸って肺に異常があるようにみせようとしたとか。中学生にとっては恐ろしい世界のことである。再軍備論が盛んになり、自衛隊が設立されて、そのうちに徴兵制が敷かれるのではないかと危惧したりして、体力はつけまいと狡猾な考えを巡らせたりしつつ、野球には熱中したものである。
憲法改正、特に9条が問題になって、改憲論を支持する青年も多いという。國のために戦う大義名分があれば、立派なことだと思う。しかし、國のためという言葉ほどいかがわしい言葉はない。黒澤明の七人の侍はそのいかがわしさを反転した逆照射である。
軍隊や戦場は異常な世界である。自衛隊という半分違憲とも言える法的状態のなかでも、我が国の軍事予算はGDPの1%を限度とするが、世界の中で決して低くはない。憲法が改正されて、自衛権が憲法上保証されて軍隊の統帥権や軍事上の規定が明文化されるとどうなるのか。逞しい推理を働かせなければならない。
なるほど、軍事力は外交上の問題を解決する手段の一つである。しかし、戦場に駆り出されるのはまず青年である。老獪な年寄りの改憲論議やそのお先棒担ぎのもっともらしい議論にうかうかと乗らないことである。

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