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国歌斉唱時の起立と思想信条の自由 [憲法問題]

❶[塩谷立文部科学相は18日の閣議後会見で「国歌斉唱時に起立するのは国際的にも常識。それが理解されていないのなら、国として何らかの指導をする必要がある」と述べた。](ヤフーニュース)
❷[県教育委員会が、県立学校の卒業式・入学式で君が代斉唱時に起立しなかった教職員の氏名を収集している問題で、収集に反対する教職員計十八人が十七日、県に対し、過去に収集した個人情報の消去と、これまでの収集に対する慰謝料を支払うよう求める訴えを横浜地裁に起こした。](同上)
❸[現職の自衛隊幹部は「思想・信条の自由に踏み込みかねない」「個人の歴史観を監察の対象にするのはおかしい」と強く反発しており、議論を呼ぶのは必至だ。](同上)
上のように発言する自衛隊幹部は嘗て自衛隊内で反戦活動をした自衛官の思想信条を自由の問題として容認して擁護したのであろうか。
田母神氏も自己の思想信条の自由については、憲法を根拠にしている。一方で、その憲法を否定する発言をしている。都合のいいところだけ取り出して自己の正当性を根拠づけるために憲法を利用するのであるから、ご都合主義もいいところなのである。
彼は退職金を自主返納すると自分の主義主張が間違いであると認めることになると言って、返納を拒否しているが、戦争を指揮して、敗戦の責任を取らなかった嘗ての軍部の幹部と全く同じ発想である。返納することと自己の主義主張の問題とは関係ないのである。正直に退職金は今後の生活のために入用だと言えばいいものを。それにしても、こんな無責任な自衛官にかくも多額な退職金を支払うのは不合理である。
また、かれの見解や行為を支持するのが過半を超えるとは驚きである。殴られないと痛さを感じない想像力の欠如した人が多いということなのであろうか。
文部科学相の発言も権力の恣意である。国歌斉唱時に起立するかどうかは、常識の問題ではなく、思想信条の問題であるから、それに踏み込むのは、自衛隊幹部が「個人の歴史観を監察の対象にするのはおかしい」というのと全く同じことである。自衛隊幹部と国歌斉唱時に起立しなかった教員とは断固として憲法の思想信条の自由を守るために共闘すべきであろう。
横浜の教職員が個人情報の収集に抗議して記録を抹殺することを求めるのは理解できるが、慰謝料請求とは恐れ入る。思想信条の自由は天から与えられるものではない。また憲法に明記されているから、保証されているものでもない。戦い勝ち取るものである。
国旗と国歌に飾られてお国のためと駆り出され、<名誉の戦死>をした時にこそ、犬死にであったことへの慰謝料として国家賠償を請求すべきなのではなかろうか。駆り出された当人は請求権を持つことができないが。
己がじし憲法を解釈して自己の立場を擁護し、利益を図ることができる憲法を我々が持ちえている幸運を何人も肝に銘ずべきであろう。
現憲法の基本的精神がどこにあって、その淵源は何に基づいているのか。恐らく田母神氏のような憲法改正論者や敗戦を終戦と塗り替え、侵略戦争をアジア救済の戦争と強弁する徒輩の描く憲法の理念がどんなものに支えられるかは想定するだに悪寒が走るのではないだろうか。

タグ:憲法問題
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