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臓器移植法の改正 [自然と人為]

脳死を「人の死」とすることを前提に、現行では禁止されている15歳未満からの臓器提供を可能とすることを柱とした臓器移植法改正案(A案)が、賛成263、反対167の賛成多数で可決した。
医学的知識も必ずしも十分でない国会議員がどのような根拠で「人の死」を脳死と決めることが出来るのであろうか。脳死が人の死か心臓死が人の死であるのかということは、ずっと論争されてきて決着がついていない。にも拘わらず脳死を人の死と立法府が、公聴会などを通じて十分な議論もせずに裁決で人の死を法的に定めたのである。
15歳以下の臓器移植について、本人の同意を得ることが難しい場合、親権者等の判断同意に委ねられたということは臓器売買等の道を開きかねない。
日本では臓器移植の提供者を一年二年と待つ場合が多く、勢い海外に臓器提供者を頼るという。平たく言えば、金の力で臓器を海外で買い求めると言うことである。生まれつき心臓に欠陥をもった幼児の命を助けたいという両親の悲痛な願いが分からないわけではない。誕生した生命の尊さを思う気持ちは貴い。しかし、世界には心臓移植どころかその日の食糧にも事欠いて餓死する運命を背負う幼児の数は、心臓疾患で生まれる幼児よりも遙かに多い。
人間は機械ではない。にもかかわらず、機械の部品を取り替えるように臓器の移植をすることに疑念を感じている人が多いことが臓器提供者が少ないことの精神的風土的基盤であろうと思う。
従って、上記の法案が参議院で可決されたとしても、臓器の提供者は決して増えないであろう。もし増えるとすれば、臓器移植を金銭的利得の対象とする機会の増大を契機にするものだと考えて差し障りはないだろう。
解散、或いは任期満了に伴う衆議院選挙に於ける重要な争点の一つとして有権者は考えなければならい。
自然と人為の問題をどう考えるのか。地球温暖化やエネルギー問題を考える根底に人の生死の問題は常に横たわっている。そのことは優れて哲学的課題なのである。だから、国民一人一人の問題なのである。一部の国会議員が多数決で数的に決することではないだろう。
米国では兵士の代わりにロボットを使った戦争が考えられ、そうしたロボットの開発研究が行われているという。クローン人間が作られたら、そのクローン人間の臓器を移植するということまでが可能になるかもしれない。さすれば、形を変えた不老長生が実現するのだろうか。
現実の命の問題であるからこそ、こうしたことまで考えさせられるのが、臓器移植の問題なのである。
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