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任意継続組合員制度の弾力的運用 [医療問題]

現役のサラリーマンや公務員が退職すると二年間に限った制度として、任意継続組合員制度があり、国民健康保険に加入するか、今まで加入していた共済組合や健保に加入を継続しつづけるか、任意に選択できる制度である。
たいていの場合、国保に加入するよりも任意継続の選択をした方が、掛け金負担も軽くて済むようである。それまで加入していた組合が掛け金を負担しているからだと思う。この制度を一律に二年に限っている根拠は把握していないが、退職者が全員国保に加入することで悪化している国保の財政上の負担を少しでも軽減するために、資金面で余力のある組合に限って任意継続期間の延長を認める法的弾力化を許容することが望まれる。一種の規制緩和である。
郵政民営化という美名に隠れてアメリカ金融資本の要求を丸呑みした小泉金融制度改革の実体がだんだん明らかになってきているが、彼も規制緩和をそうした個別的対応で行っておく政策対応能力には欠けていたのである。

安楽死即ち尊厳死について [医療問題]

胃瘻という延命装置が話題になり、長期入院ができなくなりつつあるという中で、安楽死即ち尊厳死の法制化は重要な為政上の問題の一つである。
友人や知人と自分の最期をどう迎えるのかということについて話していると、延命装置の利・活用には消極的である人が殆どである。意識がある間にそのことを明確に意思表示しておくのが尊厳死の意味であり、その制度的確認の一方法が尊厳死協会への加入と登録である。
意識が混濁した状態になった時には、自己の終末の迎え方の判断はできない。家族や近親者の判断に任せるのもある意味では酷な点があるだろう。さすれば、自己の最期を自己決定しておくことは重要な問題である。それが尊厳死と称せられることなのである。人はどんな形であれ死ぬ生き物である。非業の死だから尊厳な死だとは言えない。死ぬこと自体に尊厳という形容をするのは死の差別化である。
北欧のオランダでは安楽死が法制的に認められているとか。尊厳死協会の趣意書にも尊厳死の法制化問題が盛り込まれている。松井大阪府知事は、感情的な自殺容認論を展開する前に、尊厳死の法制化の問題を俎上に上すべきであろう。

大阪府知事の自殺容認論 [政治と言葉]

心斎橋での通り魔殺人事件に関連して、
<大阪府の松井一郎知事は11日、大阪府警に殺人未遂容疑で現行犯逮捕された礒飛京三容疑者について、「関係のない人をなぜ巻き込むのか。自己完結すべきだ」と話した。

 礒飛容疑者が「自殺をしようと思ったが死にきれなかった。人を殺してしまえば死刑になると思った」などと供述していることを受け、記者団の質問に答えた。

 松井知事は「自殺対策は大阪府もやっている。死にたくなければ、相談窓口に来ればいい」と話す一方で、「人を巻き込み、本当にムカムカする。行政の支援を受けたくなく、この世からいなくなりたいのならば、止めようがない」と述べた。>(産経ニュース)
自殺対策を行政として実施していると吹聴する一方で、自殺を容認すると誤解されかねない発言をするのは、行政のトップとしては頂けない。自己矛盾であろう。自殺対策を十全に実行しようとするなら自己完結的に対策ができなかった不十分さを先ず反省するのが為政者の責任であろう。感情に走った投げやりな発言だといわざるを得ない。
市井の徒が死にたい奴は人を巻き込まずに勝手に死ぬべきだというのは茶飲み話として容認できる。自殺擁護論である。もし府知事が自殺擁護の立場に立つなら、自殺対策室は即刻閉鎖するのが理の当然なのである。
芥川は絶対者の神に唯一できないことは自殺することであると喝破している。人は自らの命を絶つ権利をある意味では持っているが、それは個人の問題である。公的機関の責任者が自殺擁護を説くと、話を複雑にして為政者の資質が問われることになる。
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