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WBC不参加方針を決議 [プロ野球]

プロ野球選手会の不参加決議に対して、WBC主催者側は次のようにコメントしている。
<MLBジャパンのジム・スモール代表(51)は20日、同事務局を通じて「今回の件は日本の選手会とNPBの問題」とコメントした。

 選手会はWBCへの参加を表明できる権利がないとし「(権利を)持っているのはNPBであり、NPBは既に参加表明をしています。これはWBCIの委員会で決められていることでもあります」と説明。既にNPBの参加表明を受けたとして、大会を統括するMLBは近日中にも開催要項を発表する予定でいた。

 一方で、スモール代表は、選手会側からの質問にはすべて答えているが、新井会長ら選手にまで届いていないと主張。「WBCIとしては、大事な情報が伝えられていないがために、本当の状況を全く把握できていない新井会長を残念に思います」と選手会事務局の対応に疑問を呈した。

 MLBのポール・アーチー副会長はかねて「大リーガーの保険をはじめ運営に巨額のコストがかかる」と説明。そのため資金が必要で、日本の選手会の提案する形で大会を開催した場合は4カ国ほどしか集まらないと主張している。>(スポニチアネックス)
選手が参加するか、しないかを表明できないのは当然であって、選手会の決議はNPBが組織として参加を決めても、選手としては統一して参加しないこと決議しただけで、決議に対する反論にもならない。
前回のWBCでは、中日球団の選手は中日球団の意向で参加を見送っている。NPBはそのことに対して何ら反応を示さなかった。WBCに参加するかしないかは、NPBの権限であっても、参加するのは選手である。指名された選手が拒否したら、参加を強制する権限はないはずだ。第一回の大会開催に当たって、王監督が松井秀喜に参加を要請したが、松井選手は鄭重な断り状を出している。このように選手として参加するかしないかは個人の判断に任されていると考えるのが第一義であろう。今回の不参加決議は、選手会として統一して参加しないという拘束力をもった決定に過ぎない。
NPBがどのような密約を結んでいるのかは知らないが、コミッショナーこそ金銭に換えがたいものがあるから、不平等な分配でも我慢せよと言って、選手の参加を方向付けようとしている。どこの国のどこの組織のコミッショナーかと疑う。昨年の大震災発生時に示したプロ野球開催日の延期問題でも鈍感極まりないセリーグのオーナーに諂うように加藤コミッショナーは優柔不断な対応をして、その統治能力に疑問が持たれた。同じことを彼はまたしようとしている。オーナー会議で再任に異論が出たというのも首肯できる。
コミッショナー職は、重要なポストであるが、オーナーの意向を重視しすぎて野球界全体を見ることができない人物が多い。定かではないが、一定の名誉職的な仕事であるが、同時に年収も二千万ほどあるとか聞く。だから一度選任されると続けたがるという。野球には殆ど無知な人でもやりたがるのだから、まして野球好きな人なら実に「やり得の」仕事である。
創業者利得ということがある。アメリカWBCは二回もその利得にありついた。明治維新の開国期に日米通商の不平等条約を締結させて、その不平等をなくすためにどれだけ日本が苦労したのかを思い起こせば、今回の不平等条約に関しては早期に対応しようとしたのは、選手会の英断である。
NPBが参加の密約をしているとすれば、参加しない場合は、契約違反をタテに損害賠償を請求されるのであろうか。日本のプロ野球選手が稼いだ資金でそれを払うのであろうか。
国の命令に従って生きてきた外交官出身者には当事者能力が著しく欠落しているのであろうか。

阪神阪急HD株主総会での選手批判 [プロ野球]

阪神阪急HDの株主総会で、城島・小林宏之選手は不良債権だとして痛烈な球団の強化策に批判を加えたという。昨年も金本選手の起用が敗因だとする批判があったという。
当の株主は、阪神阪急の統合をどう評価したのであろうか。そもそも阪急が優良企業の阪神を統合するにはそれだけの要因があった。阪急電鉄は巨額の不良資産を抱えていて、阪急京都線の線路はペーパー会社に譲渡してその会社から線路を借りるという経営をしている。簿価圧縮の苦肉策である。そのような不良会社の株主になること自体が先見の明や経済合理性を欠いた行為であろう。
プロ野球選手が故障や怪我をしたり、不振になることを不良債権という発想はいかにも貧しい。そのようなリスクを負うことを恐れて選手との契約をしていたら、スポーツ分野での企業活動は成り立たないだろう。球団経営の最大の企業リスクは監督の采配や選手が活躍するかどうか、それに呼応した観客動員ができるかどうかである。阪神ファンは負けることも楽しんでいるから、球団の存在自体が意味を持っているとも言える。余り負け続けるとファンの足も遠のくであろうが、観客動員は群を抜いているから、球団経営は成功しているといえ、株主が問題にすべきことの視点がおかしいとも言える。
昔村山監督が古田捕手を指名しようとして眼鏡を掛けているとして反対されたとか。赤星のドラフト対象も野村の強い示唆があったとか。やはりスカウト活動に基本的な問題があるのかもしれないが、難しい球団であることは事実のようである。株主総会で選手起用や故障や怪我まで批判されるのだから、厄介な球団に違いない。

野球評論家赤星氏の走塁論 [プロ野球]

先日の巨人と楽天の試合で、聖沢選手の一塁走者としてのリードオフに関連してリードオフの大きさに触れながら、セリーグの投手のクイック投球や捕手の方が盗塁阻止に対して訓練が積まれているというようなことを言っていた。
昔阪急時代の大エース山田久志投手が現役時代、甲子園の東洋大姫路の優勝投手松本投手に牽制球の投げ方などを指導していたのを見たことがあるが、山田投手がそんな投げ方ではダメだと厳しく指導していた。一般にセリーグの野球の方が緻密で考えた野球をすると言われるが、それも限界をもっていることが交流戦発足以来明らかになりつつあると思う。
盗塁に関して言えば、昨日現在セリーグの盗塁総数は30、パは29で拮抗している。リーグ戦ではセリーグは全部で121盗塁、パは215盗塁である。215盗塁のうち、楽天とソフトバンクの両チームが121盗塁を数えるから、この数値から見ると、セリーグが交流戦でパリーグよりも盗塁数が多いのは、赤星氏が指摘するような点が若干影響しているのかもしれない。
産経新聞は、<交流戦やっぱりセは苦戦?巻き返しのカギは「積極性」>と題した記事を載せている。昨日現在パが3勝リードしていることでセ・パ各球団の成績を分析している。
盗塁も積極性の有無が大きく左右する。積極性の背後には研究もあるが、野球に対する基本的考え方の相違もあるだろう。ソフトバンクと中日の第二戦で、1対4とリードされている場面で、二塁走者の明石が三盗を企て憤死した。スタンドでも点差を考えろとヤジが飛んでいたし、三塁ベースコーチの井出コーチも憮然とした表情にみえた。明石の野球センスの問題なのだろうが、別の視点で言えば、積極的な攻撃野球と言うことになる。この盗塁失敗はチャンスの目のみならずソフトバンクの選手のみならず、ファンの意気をも消沈させたが、成功していると中日に与える衝撃は大きかったかもしれないから、点差以上の意味を持ったかもしれない。スキを見せていたということになるのであるから。スキを衝いたつもりがスキがなかったのが谷繁捕手であった。ソフトバンクの積極的盗塁を頭に入れていたということであろう。
DeNAとソフトバンクとの試合でも、松田選手があわやランニングホームランという走塁をしていた。よく走ったものだと感心した。この走塁ではないが、大魔神の佐々木氏がソフトバンクに小さなミスが多々あることを指摘していた。積極性とミスとは連動する点もあるが、ミスを克服していけば、赤星氏が指摘する訓練をものともしない成果が生まれるかもしれない。
昨年までは余り出場していなかった一軍半の選手がスタメンで出場しているのだから、今年のソフトバンクが交流戦で低迷しているのは当然だろうが、思い切りの良さだけは取り柄なのだろう。
積極性の観点からすると赤星氏の指摘はセ贔屓の嫌いがあるだろう。なべてセリーグ出身でセリーグ中心に解説している評論家はパの試合をきちんと見ないで解説や評論をしている。桑田氏や江川氏はその典型ではなかろうか。
桑田氏などは野球は失敗のスポーツだとひとかどの見識を披露しているが、野球は両チームで行うスポーツだから、一方の失敗は他方の成功なのであるから、立体的に見識を組み立てなければならない。それが野球を大局的に見るということであろう。その点ハムの栗山監督は評論家生活時代に公平に野球を学んでいた成果がいま注目を浴びているのだと思う。
総じていえば、赤星氏もなかなか聞かせる解説をしているから、もっとパの試合をも積極的に観戦することであろう。

交流戦倦厭論 [プロ野球]

24日付け日経新聞スポーツ欄のコラムで豊田泰光氏が、8年目を迎える交流戦に新鮮さがなくなってきた。オリンピック並みに四年に一度にしてもよいのではないかと、自らの感性の鈍化に目をつぶった感想を書いている。
理解力や理屈の点ではまだまだ衰えていないと言えるのだろうが、この論調には彼の感性の衰えを感じた。自分の感性の衰えを全ての人に当てはめているのではないかと感じる。
交流戦は当初6回戦総当たりで1球団36試合で行われていたが、セリーグ側が観客動員減少問題と絡めて4回戦、一球団24試合になった。周知のことである。そしてまたこれまでパリーグの球団が全部優勝している。リーグ間の勝敗でも一度だけセリーグの球団が勝ち越した年があって、後は全てパリーグが勝ち越していて、一昨年かは一位から六位までがパの球団が占めていた。今年は現時点で巨人が優位を維持している。これは杉内投手ホールトン投手を加入させた結果だから、驚くに当たらないという。勝負事はゲタを履くまで分からないないから、豊田氏が予想するように今後も展開するとは言えない。それになによりも何時までも巨人に拘って居る感性の停滞が感じられる。巨人中心に動いていると感じているのは、読売というマスコミ権力の作った過去の遺産に必要以上に囚われているとしかいえない。テレビででも交流戦の各試合を観戦しているのだろうかと思う。昨日などは、パリーグの主催試合だったとはいえ、どの球場も観客動員は相当な数に上っていた。決してファンは倦厭していないと言えよう。
歴史の積み重ねは、それに応じて楽しみの変化を生み出してくれる。今年くらいはセリーグの球団が優勝しないといけないとか、個人記録にもいろいろな興味を抱かせることが積み重ねられてくる。
これまでの勝敗や優勝チームが、セリーグとパリーグが逆であったら、恐らくパリーグはマイナーリーグとしてマスコミを利用した宣伝がなされていたろう。パの優勝チームは社会人や学生の優勝チームと争って、セリーグの優勝球団と日本一を決めるシリーズをやったらいいというようなパリーグ蔑視の見方が大手を振っていたかもしれない。
今年は、杉内投手とホールトン投手が巨人に移籍し、ダルビッシュ投手や和田投手はメジャーに移り、楽天の田中投手は調整中、涌井投手も先発を外れた上に登録抹消というように、パの主力投手が抜けている中でも現時点ではパリーグの球団の勝ち星が優勢である。
交流戦が始まってから、オールスター戦がつまらなくなったというのも腑に落ちない。川上選手などが出ている昔からセリーグの選手はどこかオールスター戦に手を抜いていたのである。パの選手は全国区を目指して気張ったのであるが。恐らくファンの絶対的優位に無意識のうちにパリーグ蔑視の野球観が身についたのだろう。その伝染力から未だに免疫力をつけていない意識が豊田氏の倦厭論に横たわっている。それを感性の停滞といい鈍化と言わずして何と言えばよいのか。
韓国や台湾との真剣勝負をプロ野球の化石化脱却の処方箋の一つとして挙げているが、その前にプロ野球機構そのものが巨人を中心としたオーナー勢力から組織として完全に自立することが先決だろうと思う。審判の統一はよかったが、昨年の開幕日延期問題で見せたコミッショナーの対応力の貧弱さを思い出せば、思い半ばを過ぎるだろう。コミッショナー自立から新しい企画が生まれるのではなかろうか。
交流戦倦厭が主流になることが、プロ野球の沈滞脱却の一方法ではないだろう。

DeNAの入場料返還企画 [プロ野球]

横浜スタジアムの一塁側内野指定席の50席分は、1日から6試合「全額返金!?アツいぜ!チケット」として4000円で販売。観戦したファンの満足度により勝てば半額まで、負けたら全額まで返金する球界初の試みだった。

 チームは初の3連勝を飾ったが、この日も返金を求めるファンが続出。「以前の連敗があったから」との理由を聞いた球団関係者は「当日の試合の満足度だけで、と伝え切れていなかった」と苦笑していた。<スポニチアネックス>
誰の発案によるのか、観客動員にこの企画が結びつくと考えたのだとすれば、お粗末であろう。またある意味では選手のプレーを冒涜する企画でもあろう。
4000円のチケットが50席完売しても20万円にすぎない。球団の収入としては、僅かであるが、観客一人一人にすると4000円はそれほど安い娯楽費ではない。4000円の席はそこそこの席であろうから、日頃は外野席で見ている人が初めから返還を目論んでこの席で観戦するファンもいるはずだ。
満足とか不満足は相対的である。理屈と膏薬はどこにでもつくというように、勝ち方に不満があれば、勝利しても返還を求めるのを拒否できないだろう。圧勝すればしたで接戦の期待を裏切ったという観客もいるだろう。投手戦で勝っても、某選手の本塁打をみることができなかったので返還を求めるという理屈も成り立つ。
このように考えると八百長に結びつく恐れがないとも言えないのではなかろうか。その筋のプロが仕切る野球賭博では、誰が何回に本塁打をうつかとか、先発が何回まで投げるかというようなことまで賭の対象になっているとも聞く。
球団は遊び心でこの企画を導入したのだろうが、球団経営の基本姿勢がどこか狂っているのかもしれない。
興行収入の最も基本的な入場料について、曖昧にするのは間違っている。途中で雨などが降っても試合が成立すると入場料は返さないという大原則に逸脱した企画なのだから、即刻止めた方がいいだろう。
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巨人原監督 不安定な采配 [プロ野球]

今年は完封試合が両リーグ、殊にセリーグで多い。昨日も巨人阪神戦はノースコアーの引き分け、中日と横浜は1対〇で中日の完封勝ち。投高打低がしきりにいわれる。この傾向が何時まで続くのか分からないが、阪神3連戦での原采配に大方の巨人ファンは大きな疑問を抱いたのではなかろうか。
杉内が好投して7対2となり、ほぼ試合の帰趨は見えていた。にもかかわらず中継ぎに山口を投入。9連戦が始まったばかりであり、山口にホールドポイントもつかない。意図が全く理解できなかった、どころが無茶な投手の使い方をすると思った。杉内をもう1イニング投げさせ、最終回にマジソンを出すのが常道だったろう。あるいは山口以外の投手でもよかったはずである。
結局山口は三連投である。目先の9連戦を考えても山口を大切に使うべきである。このような使い方をしているとシーズン終盤の勝負所まで好調を維持できるかどうか。
そして最終回に村田にバントをさせる作戦を変えて強打させ、ライトマートンの余り上手とも言えない守備で無死二三塁になり、結果的にはよかったが、甚だ疑問である。
その前の打席では犠打をさせているので、解説の堀内氏もここは犠打だ、と言っていた。裏をかいたのかもしれないが、一貫性のない采配に見える。マートンが捕球していたら作戦変更は強く責められたろう。まだ回の浅い第三打席で打たせて、最終回は犠打をさせるのが常道だろうと思う。
ノーダウン満塁は点が入らないというが、その通りになった。作戦の不安定さに選手が流れに乗り切れなかった面もあったのではないかと思う。
初戦で5点差での山口投入には不安な心理が擡げたのかもしれないが、村田の犠打から強攻策への変更も守備体形などを見て、犠打の失敗を恐れたのかもしれない。
山口の無駄使いや村田への作戦変更をみて、原監督は腹の据わらない小心というより気の小さい指揮官というのが実体なのではなかろうか。だから負けても評論家のような発言しかできない。それを選手は見抜いているので、その采配の不安定さに左右され、それが微妙にプレーに影響している、つまり試合の展開に乗っていけないのではないか、と思った。
桑田氏は野球はミスのスポーツだと独自の見解を説いている。ミスと判断する基準はそもそもどこにあるのか。投手は完全な投球ができ、打者は完全に打てることを絶対的基準にしないから、試合は成立する。打者が完全であれば、試合は終わらない。投手が完璧なら、得点は与えない。両チームの投手が完全なら、試合は終わらない。試合は相手があって成り立つ。両方が完全であることはないというのが桑田氏の言い分なのであろうが、完全を求めるからミスが生ずるのか、ミスを前提にしているから、完全を求めるのか、この両者には随分距離がある。

原巨人監督と横浜中畑監督の談笑 [プロ野球]

昨日は雨で流れたが、巨人の原監督とDeNA中畑監督が和やかに談笑している写真を見て、奇異な印象を抱いた。かつて巨人で僚友だったとしても今や敵として一軍を率いている両人が試合前とはいえ談笑しているとはどういうことなのであろうか。
まして圧倒的な戦力を有していて独走間違いなしと大方の評論家が優勝候補の最右翼として推されているのに、早くも5度の完封負けを含む7つの負け越しをして最下位に低迷している巨人原監督のこの暢気な様子には巨人ファンならずとも大いに疑問を抱いた。原監督には「辞めろ」という罵声まで浴びせられたりしているという記事も見かけた。
中畑監督も巨人との絶縁を宣言し、打倒巨人を標榜しているのであり、最下位争いをしている事態は深刻なはずである。
両者ともまだシーズン当初なのでのんびり構えているのかもしれないが、7つの借金を背負った巨人が優勝したことはないという過去のデータもある。早くも優勝を諦めたのであろうか、疑われるほど、その発言もまるで一軍を率いる将のものではない。評論家のような発言が目立つ。
投手起用といい、選手を十分把握し切れていないのではないかと思う点が見受けられる。まだ十分本調子に戻っていない久保投手を投入して結局再調整を余儀なくさせたりしているのはそのいい例である。セカンドの選手起用にも打線のことも含めてキャンプで何をしていたのかという疑念を抱くほどである。
原監督は監督になった年に優勝したことがマイナスになっているようにも思われる。
この両人の談笑写真に両軍の低迷振りの象徴を垣間見たように思えた。

元巨人投手桑田氏の常識 [プロ野球]

毎年この時期になるとプロ野球界に入団したルーキーたちにプロ野球界で一家を成した選手OB達が講話をして、その話の内容が話題になる。今年は桑田氏が講師を委嘱されて講話したとのこと。
毎日新聞によると、「球界だけに通用する常識はいらない。一般社会に通じる人になってほしい」と話したとある。
彼の言う常識の許容範囲が広いのか、当方の許容範囲が狭すぎるのか分からないが、彼の巨人入団の経緯やその後の波紋、さらには投げる不動産屋とまで酷評されたことを想起すると、彼が積んだ人生経験がそうした訓戒を垂れるまでに成長させたのだろうと思う。
プロ野球界のスカウト活動は理外の理、非常識が常識といわれる。単独指名を受けて希望球団に入り去年の新人王を獲得した選手は入団球団から数億円の「学資支援」を受けていたというのは知る人ぞ知ることであると噂されているし、一位指名を拒否した選手も非常識が常識の対応をしているのである。広岡氏は、原監督は甥に対して一位指名の意味を尊重するように忠告するのが叔父のつとめだと苦言を呈していた。それが世間の常識であろう。
桑田氏が巨人に入団した背後には人に言えない身内の問題が潜んでいたのだろうと推測しているので、彼を一方的に非難批判するのは当たらない部分があると思っているが、野球と同じで結果がものを言うのだから、彼も打者討ち取るための投球の組み立てを語るように、結果を招いたことの次第を説明してもいいように思うが、墓場まで持って行くことなのであろう。
コントロールを乱して痛打を喫することがあるように、社会に通用する人になる前に野球選手としての投球術や技量を磨くことが結局は社会に通用する人格を形成するということ、つまり球界の常識は社会の常識として底の底で通じていることを教えるべきだったように思う。

SB川原投手の危険球退場 [プロ野球]

昨日のソフトバンクと広島のオープン戦で先発した川原投手は、初回いきなりボール3の後、4球目を先頭打者東出選手の頭部にぶつけて危険球と判定されて、退場させられた。
いくら緊張していたとはいえ、ストライクが一球も入らず、四球目が頭部直撃とはひどすぎる。そしてオープン戦といえども危険球退場があることがわかった。その判定を下した審判は厳正であった。
昔、ホークスの鶴岡監督は、大毎(だっと記憶する)の若生という剛速球投手がオープン戦で死球を与えた時に、「オープン戦でぶつけるヤツがおるか!」と怒っていたことを思い出す。
東出選手は大事に至らずプレーを続行したので両ベンチとも救われた思いだったろう。この時期選手、特にレギュラークラスの選手の故障が一番の心配事であるとは解説者の等しく語ることである。
期待されているので、その期待に応えようとしたとはいえ、投手としてお粗末すぎる。このような事態も予測されるのだから、オープン戦でも先発投手の人選には慎重を期すべきであろう。
ブルペンでは早いボールを投げるが、実践でその力量が発揮できないために、大成しなかった投手は枚挙に暇がない。川原投手もその一人にならないように精進することであろう。

巨人川口コーチの杉内投手評価 [プロ野球]

来年の開幕投手の誰何や投手陣のことに触れる中で、川口コーチが移籍してきた杉内投手の力量に関して、「セリーグで投げてないので分からない」というような発言をしていた。
杉内投手は、パリーグで100勝以上をマークしている投手である。しかも交流戦でも実績を残している。のみならず日本シリーズでも活躍し、WBCでも成果をあげている投手である。その投手に対する評価の基準があまりにも貧弱であると思った。そもそもセリーグは交流戦ではここ二三年に限れば、パリーグの後塵を拝していることは周知の通りである。にもかかわらず、こうした評価しかできない川口コーチに巨人は投手陣整備をまかせられるのであろうか。つまりセリーグのことしか視野に入っていないことを自己暴露しているようなものであるからである。昨シーズン巨人が勝てなかった過半の要因は、打線が振るわなかったこともあるが、投手陣にも問題があった。東野投手の不振は彼だけの責任ではなかろう。
杉内投手が来シーズン活躍できるかどうかは分からない。しかし、過去の実績に照らせば、二桁の勝利は計算できる投手である。セリーグで投げてないので分からない、という言い方しかできない貧相な判断力の持ち主だと思わざるを得ない。子飼いの投手や生え抜きの投手に期待したいのかもしれないとしても、パリーグを軽視したセリーグ優位の考えが染みついているのだろう。彼自身も広島からFAで巨人に移籍しているのだから、FA移籍の重みを体験しているはずである。にもかかわらず、セリーグでの実績だけでしかものが言えないのだから、杉内投手もマイペースを守って、つまり自分の考えをしっかり持して、このような投手コーチを頼らないことであろう。

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